第12章 紅色の瞳の先【煉獄編 第1話】
那田蜘蛛山の森に足を踏み入れた瞬間、冷たい湿気と異様な空気に知令の心は緊張で固まる。足元には蜘蛛の糸が無数に張り巡らされ、枝の隙間からは、異様に長い手足の鬼たちがこちらを伺う影が見える。
「……この空気……嫌な感じです。」
小さく呟き、手元の刀に力を込める。
頭の中でふと、煉獄の言葉が蘇った。
「剣士の力は、心で動かす。恐怖に負けず、己を信じろ。」
その言葉を思い出すだけで、胸に熱が走る。蜜璃から学んだ「恋の呼吸」の柔らかくしなやかな動きを応用しつつ、煉獄の言葉を心に留め、愛の呼吸の新しい型を考えながら戦場に身を投じる。刀を振るうたび、炎の呼吸の動き方を意識し、攻撃と回避の間合いを工夫する。
視界の隅に義勇の黒い影が映る。彼はいつも通り、冷静に戦況を把握し、必要な瞬間に知令の前に立つ。胸がぎゅっとなる。戦闘前から、背中を預けられる存在の安心感と、言葉にできない感情が交錯する。
最初の蜘蛛の鬼が襲いかかる。糸が宙を切り裂き、冷たい風が知令の頬をかすめる。反射的に体を捻り、刃先で糸を斬り裂く。
「愛の呼吸、伍ノ型…汎愛博施(はんあいはくし)!」
連続で繰り出される糸に対して、呼吸を使い、斬撃の軌道を円運動させることで防御と広い範囲の反撃を同時に行う技。
「……これが、私のやり方……」
小さく呟きながら、刀を振るう手に力を込める。心の奥では、まだ両親の死の悲しみがくすぶるが、怒りがその刃をさらに鋭くする。狂気の力が無意識に呼び出され、動きが通常よりも速く、反応が冴えている。
炭治郎、善逸、伊之助の姿も確認できる。炭治郎が鬼の動きを見極め、仲間を誘導する間、知令は後方から攻撃のタイミングを調整する。義勇が前に立つことで守られていると感じながらも、自分も何とか仲間に貢献したい一心で頭をフル回転させる。
視線が義勇と交わる瞬間、ほんのわずかに互いの存在を意識する。言葉はなくても、戦場の緊張感の中で伝わる何かがある。知令の手は小さく震えるが、体と頭は冷静で、愛の呼吸と炎の呼吸の技を次々と繰り出していく。
──戦闘前の序盤は、知令にとって自分の力を確かめる時間でもあった。狂気が帯びた力、煉獄の教え、そして義勇の存在。それらすべてを胸に、彼女は次の瞬間に向かって刃を構える。