第9章 甘くて苦い
悟「でもさぁ。」
急に真面目な声になる。
悟「ほんとに嫌なことされたら、ちゃんと“嫌だ”って言えよ。俺じゃなくても良いけど、ちゃんと頼れよ。」
唐突な真剣さに、胸がじんと熱くなる。
めいは小さく
「……うん。」
と頷いた。
それ以上言葉にすると、涙がまた出てきそうだったから。
悟はそれ以上追及せず、再び軽い調子に戻った。
悟「よし、偉い。じゃあご褒美に、俺が家までエスコートしてあげよう。」
「……さっきから勝手に決めすぎ。」
悟「良いの良いの。俺、そういう男だから。」
また呆れながらも、心は少しずつ安堵で満たされていく。
家の前に着く頃には、夜はすっかり更けていた。
立ち止まっためいを見て、悟がふっと笑う。
悟「着いたね。」
「……ありがと。」
素直に言うと、悟はおどけるように片目を瞑ってみせた。
悟「じゃあ、また明日。」
軽やかに背を向ける。
その背中を見送りながら、めいは小さく息を吐いた。
胸の奥に残ったのは、不思議な温かさと彼の言葉の余韻。
“女を泣かすやつは嫌い”
――その言葉は冗談のようでいて、誰よりもめいを守ってくれた。
扉を閉めたあとも、耳の奥で悟の声が響いていた。
まるで、まだ隣にいるかのように。
─────────────────
夜風が少し冷たくなりはじめた頃、彼女は小走りに駅から自宅へと向かっていた。
仕事が長引き、帰りが遅くなったことを気にしていたからだ。
暗がりの住宅街、足音だけが響いていたその瞬間――
背後から不意に声を掛けられ、思わず振り返った。
彼「……久しぶりだな。」
低い声。
その顔を見た瞬間、胸がざわついた。
元彼だった。
以前、偶然顔を合わせた時に悟に割って入られ強引に引き離されたことがあった。
その時の悔しさが、彼の瞳には今も宿っているように見えた。
彼「こんな時間にひとりで歩くなんて、油断してるな。」
「……どうして、ここに……。」
問いかけは最後まで言葉にならなかった。
彼の手が突然、彼女の腕を強く掴んだからだ。
驚いて振り払おうとしたが、その力は容赦なく、ぐいと引かれると身体ごとバランスを崩してしまう。
「ちょっと……やめて……!」