第9章 甘くて苦い
彼「久しぶりだな。……こんなとこで会うなんて。」
軽い調子の声。
それだけで胸がざわつく。
何も変わっていないように見える彼と、全てが変わってしまっためい。
その落差が苦しかった。
「……偶然ね。」
やっとの思いで言葉を絞り出す。
できるだけ冷たく返したつもりだったが、喉の奥が乾いてうまく声が出ない。
彼は1歩近づいてきた。
彼「元気そうで安心した。……あの時は、悪かった。」
謝罪ともつかない、曖昧な言葉。
けれど、あの時の一言――
“冷めた”――が鮮明に蘇ってくる。
めいは心の中で叫んでいた。
謝らないで。
優しくしないで。
そんなことを言われたら、また揺れてしまう。
「……別に、気にしてないから。」
感情を隠すように俯いて答える。
本当はまだ傷は癒えていない。
忘れようとすればするほど、記憶の棘が突き刺さる。
だから悟のことまで思い出してしまったのだ。
救いのようで、同時に忘れてはいけない過去を呼び起こす存在。
元彼はめいの態度に苦笑するように眉を下げた。
彼「強がるなよ。……本当はまだ、俺のこと――。」
「やめて!」
思わず大きな声が出た。
夜の道に響いて、通りすがりの人がちらりとこちらを見る。
胸が苦しくて、息が浅くなる。
このままじゃ駄目だ、逃げなきゃ。
そう思って足を動かそうとした時、彼の手が伸びてきてめいの手首を掴んだ。
「……放して。」
彼「ちょっと話すだけだって。」
拒絶する声が震える。
力を込めても振りほどけない。
――まただ。
あの時と同じ。
めいはいつも男の力に抗えなくなる。
視界が滲む。
どうして。
どうして今、彼が目の前に現れるの。
喉が詰まり、声が出なくなった瞬間だった。
背後から、不意に聞き慣れた声が割り込んできた。
悟「……何やってんの?」
振り返らずとも分かる。
白い髪と、軽い調子の声。
――悟だ。