第13章 絡まる心と体
女は肩をびくりと震わせ、視線を伏せる。
彼の存在を待っていた自分が、心のどこかにいたことを認めざるを得なかった。
だが同時に、彼の顔をまともに見られる自信はなかった。
「……すみません。」
荷物を抱えたまま、小さくそう告げる。
それは“忙しいから”、“手が離せないから”という言い訳に過ぎなかった。
だが本当は――
彼と目を合わせてしまえば、心が揺らいでしまうことを恐れていた。
甚爾はしばらく黙ったまま、そこに立ち尽くしていた。
やがて、かすかな吐息が聞こえた。
甚「……そうか。」
その短い言葉に、彼の諦めと言葉にできない感情が滲んでいた。
女の胸は痛んだ。
背を向けたまま、何かを言い返したくなる。
“ありがとう”とか、“ごめんなさい”とか、せめてひとつだけでも。
けれど口を開けば涙が溢れてしまう気がして、声を絞り出すことさえできなかった。
段ボールを抱え、女は職員室を出る。
廊下に出た途端、足が重くなった。
背後に甚爾の視線を感じながら、1歩1歩遠ざかっていく。
――振り返りたい。
――名前を呼びたい。
――もう1度だけ、その声を聞きたい。
心の中で必死に叫ぶのに、体は前へと進む。
やがて正門に辿り着いた。
見慣れた校舎を振り返ると、そこに自分の居場所があったことが嘘のように思える。
誰も知らないところへ行く。
そう決めたのは自分だ。
段ボールの重さが、これまで積み上げてきた時間そのもののように感じられる。
だが、その重みを抱えてでも前に進まなければならない。
校舎を背に歩き出すと、遠くで秋風が吹いた。
髪を揺らすその冷たさに、ようやくひと粒の涙が頬を伝う。
その涙は後悔か安堵か、自分でも分からなかった。
ただ確かなのは――
甚爾にかけるべき言葉を最後まで言えなかったことが女の心に深い影を落としたまま、消えなかったということだけだった。