第11章 逃れられぬ腕の中で
周囲のざわめきが遠のく。
まるで世界に2人だけが取り残されたかのように、女は彼の視線に囚われていた。
甚「……終わったら、ちゃんと話せ。」
甚爾はそれだけ告げると、ようやく手を離した。
そして何事もなかったかのように、資料の束を抱えて離れていく。
残された女は震える指を胸元で握りしめ、呼吸を整えようと必死だった。
胸の奥にはまだ恐怖が居座っている。
だが同時に、先ほどの甚爾の言葉が熱を帯びて残り続けていた。
――助けを求めても良いのだろうか。
――彼に全てを話してしまえば、何かが変わるのだろうか。
迷いと安堵の狭間で、女の心は揺れていた。
時計の針が、定時を告げた瞬間。
女は椅子からすっと立ち上がった。
周囲ではまだ残業を続ける同僚たちがいるが、今日は1秒でも早く職場を出たかった。
――甚爾にも悟にも、心配をかけたくない。
――きっと会わなければ、迷惑をかけずに済む。
そう自分に言い聞かせるように、鞄を握りしめて足早に職場を後にした。
夕焼けが街を染める時間。
帰り道の景色はいつもと変わらないのに、胸の奥には重苦しい予感が広がっている。
校門が見えたとき、女の足取りは無意識に速まった。
――ここを抜けてしまえば、きっと大丈夫。
だが、その願いは門前で砕かれる。
彼「よぉ。待ってた。」
声を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。
そこに立っていたのは、忘れたいはずの元カレ。
薄い笑みを浮かべながら、門柱にもたれ掛かる姿は妙に余裕をまとっていて、その視線は逃げ場を与えてくれない。
彼「急いで帰るのか? 久しぶりなんだし、ちょっと一緒に歩こうぜ。」
そう言って近づいてきた彼の腕が、自然な仕草のように女の腰へ回される。
冷たさと熱が同時に突き刺さるようで、女は思わず身を固くした。
「や、やめて……。」
小声で拒んでも、彼は笑うばかり。
彼「そんな冷たくするなよ。俺たち、まだちゃんと終わってないだろ?」
囁きは甘いふりをしているが、その奥には鋭い脅しが潜んでいた。
――手紙。
――ばらすぞ、と書かれていた脅迫文。