第9章 『 小さな葛藤 』
影の女が笑った、その瞬間。
――ず、と。
床下から、何かが這い上がってくる気配がした。
「……?」
肥前くんが息を呑む。
畳の縁、柱、天井の梁。
本丸を構成する“すべて”から黒く濁った霊力が染み出してくる。
それは煙のようで、液体のようでもあり、触れれば心まで侵されそうな重さを持っていた。
「始まったわ」
女の姿をした影が、どこか誇らしげに告げる。
「この本丸はね、私の霊力で建て直されたの」
影が、ゆっくりと腕を広げた。
「折れた刀も、傷ついた記憶も、全部……ここに、染みついている」
――ギィ……。
遠くで、障子が勝手に開く音がした。
次いで、複数の足音。
「……来る」
審神者は直感する。
これは、この部屋だけの異変じゃない事に。
「肥前くん……」
声をかけようとした、その時。
「主!」
別方向から、必死な声が響いた。
廊下の向こう――
結界が歪み、刀剣男士たちの姿が見える。
だが、彼らの動きも、どこかおかしい。
足取りが重い。
視線が定まらない。
まるで、“本丸に拒まれている”かのように。
「無駄よ」
前任の審神者が嗤う。
「この空間にいる限り、私の怨念は、本丸そのものを通して流れる」
黒い霊力が梁から垂れ床を這い陸奥守の足元に絡みついた。
「……陸奥守ッ!」
肥前くんが先程よりも大きな声で叫ぶ。
それに答えるかのように陸奥守さんの体がびくり、と跳ねる。
が、糸が増えた。
一本、
また一本。
まるで、“闇”が彼を縛っているようだった。