第10章 『 主と刀である前に 』
襖を開けて、主をそっと中へ押し入れる。
「……早く入れ。風邪ひく」
そう言いながら、自分は廊下に立ったまま。
障子越しに、主の気配だけが残る。
――閉めろ。
頭では分かってる。
ここで引かなきゃ駄目だって。
なのに、指が動かない。
……くそ。
(主と刀である前に、だって?)
そんな言い訳今のこの気持ちの前じゃ何の意味もねぇ。
審神者で、主で、守るべき存在で――それ全部分かってるのに。
「……いいですよ」
あの一言が、まだ耳から離れない。
(なんでそんな顔で言うんだよ)
信頼してる目。
覚悟を決めた声。
あれを向けられて平然と引き下がれるほど俺は出来た刀じゃない。
手を伸ばせば襖一枚で、全部手に入る距離。
(触れたら終わりだ)
優しく抱くつもりでも欲が混ざるのは止められない。
守ると、欲しがるは違う。
なのに今の俺は――完全に後者だ。
「……情けないな」
誰に言うでもなく呟く。
刀として生まれて主を斬るためじゃなく、守るために在る。
それなのに。
(抱きたいとか、欲しいとか、離したくないとか……)
そんな感情本来なら持っちゃいけねぇのに。
襖の向こうで、主が動く気配がする。
その音ひとつで、心臓が跳ねる。
(……行くな、って言われたら)
(俺、多分、止まれなかった)
だから今夜は――逃げるしかなかった。
送り狼にならなかったんじゃない。
“なれなかった”だけだ。
「……おやすみ、主」
もう一度小さく言ってから踵を返す。
背中に残るのは未練と、熱と、理性の残骸。
主と刀である前に。
俺はただの男で、主に恋してるだけだった。