第8章 『 距離 』
それは、誰かが声に出して言うほどのことではなかった。
けれど。
本丸の空気は、確かに、少しだけ変わっていた。
鶯丸は、何も言わない。
ただ、縁側で茶を飲みながら主と鶴丸の距離を静かに見ている。
以前より、少し遠い。
だが、視線だけは近い。
(……なるほど)
湯呑みを置く。
刀が人を想うこと自体は、珍しくない。
だが、それを抑えようとする刀は、案外、少ない。
一期一振も、同じだった。
「最近、鶴丸殿は少し控えめですね」
廊下で、長谷部にそう漏らす。
「……気づいていたのか」
「ええ」
一期は、微笑んだ。
「無理に踏み込まぬところが、鶴丸らしいとも言えるが……」
鶯丸と一期は、何も言わず、ただ場を整える側に回った。
邪魔をしない。
背中を押さない。
主が困らないように。
鶴丸が壊れないように。
一方。
「……なあ」
夜の見回り中。
三日月宗近が、隣を歩く豊前江に声を落とす。
「最近の、あの二人を知るか」
「三日月さんは気づいてたんだな?」
豊前は、苦い顔をした。
「近いようで、妙によそよそしいんだよな」
「はは……」
三日月は、困ったように笑う。
「まさか、とは思うが」
「刀が、人に恋をする、か」
「……冗談にしときたい話しでもあるが」
豊前は、頭を掻いた。
「でもよ、主が絡むと本丸は、前例を軽く超えてくる」
それもそうだ。
二人は、言葉を失った。
冗談では済まない、
可能性。
そして。
「……主は、主だ」
その場に居合わせた長谷部は、それだけを口にしたと思うとスタスタと2人の隣を通り、去っていく。
「主の在り方は変わらない、という事か」
「刀が何を思おうと主は主ってか」
感情論を、きっぱり切る。
「それ以上でも、それ以下でもない」
けれど。
夜更け。
誰もいない場所で。
三日月は、主の部屋の灯りを一度だけ見て、そっと視線を逸らした。
(……だが主が、また一人で泣く姿を見るくらいならば)
(鶴さんがが、傍にいるのも……)
その続きを、彼は考えなかった。
主と鶴丸は、互いに、気づかないふりをしている。
触れない距離。
踏み込まない言葉。
けれど。
見守る者たちは、知っていた。
それが、
“始まり”の形だということを。