第8章 抗えない夜
甚「なあ。」
「……?」
甚「もし今夜……帰りたくなけりゃ、俺のとこ来るか?」
静かな声だった。
けれど、その言葉の奥には男の熱が確かにあった。
甚「変な意味じゃねぇ……とは、言い切れねぇけどな。」
彼女は、言葉を失って甚爾の横顔を見つめた。
──逃げたい。
でも、本当は……誰かに、寄り掛かりたかった。
彼女の指が、無意識に甚爾の袖を掴んでいた。
「……少しだけなら。……ほんの少しだけ、ね?」
甚「おう。それで充分だ。」
男の笑みが夜の街の喧騒に紛れて、やけに優しく見えた。
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小さなエレベーターの中、彼女の鼓動はやけにうるさかった。
狭い密室に、甚爾の体温が近い。
黙っていても感じるほどの圧が、肌の表面にじわじわと張り付いてくる。
甚「そんなに緊張すんなよ。」
耳元で低く囁く声に、肩が跳ねる。
「べ、別に……緊張なんて……。」
甚「はは、わかりやすい。」
肩越しに笑う彼の目は獲物を追う猛獣のように鋭く、それでいてどこか翳りを含んでいた。
逃げたくなる。
でも、逃げられない。
むしろ自分から、この檻に足を踏み入れている。
エレベーターの扉が開く音に、胸が跳ねる。
彼は何も言わず部屋のドアを開け、彼女の手を軽く引いた。
──深くて、静かな空間。
ネオンの騒がしさも外の湿った空気も、すべてが切り離されたかのような空間に彼女は無意識に呼吸を潜める。
「……良い部屋、だね。」
甚「気に入ったか? ……ああ、でも。」
甚爾は不意に彼女の後ろから近づき、耳元に吐息をかけるようにして囁く。