第10章 遠回り
甚爾は無言でテーブルの脇に腰を下ろす。
少しだけ前髪から水滴が落ち、ミクの手元のマグの縁を濡らした。
甚「名前出しても、オマエが満足するような話じゃねぇよ。」
「……隠すつもりなの?」
甚「違う。……隠す理由がなくなったってだけ。」
甚爾の目が、鋭くもどこか遠くを見ているようだった。
その表情に、ミクは胸が詰まる思いがした。
甚「ちょっと前まで、会ってた。体の関係も、まぁ……あったな。でも、今は切ってる。オマエと会うようになってからは、なにもしてない。」
さらりと言い放たれるその言葉に、ミクの胸はどこかざらつく感覚で満たされた。
説明でも弁解でも、釈明でもない。
彼の中ではただ「事実」なのだと、分かってしまうから。
「どうして……あの時、言わなかったの。」
甚「言う必要、あったか?俺たち、そういうんじゃ無いだろ。」
「……私は、言って欲しかった。」
沈黙が落ちた。
マグカップの中のコーヒーがぬるくなっていく音さえ聞こえそうなほど、部屋は静かだった。
甚爾は、ふうっと長く煙草も吸わずに息を吐いたあと、ぽつりと呟く。
甚「……じゃあ、オマエは、何が欲しいんだ?」
その問いに、ミクはすぐに答えられなかった。
関係の名前なのか安心なのか、それとも――
独占欲なのか。
だがその朝ふたりの間に横たわるものが以前より、はっきりと重く長く、そして甘やかに滲んでいくようだった。