第8章 たまには
そして――
その違和感は午前の会議中に、静かに疼き始めた。
ふと、甚爾がぽつりと言った言葉が蘇った。
『今日はもう良い。女と出かける。』
あのときは冗談だと思った。
けれど今朝、何も言わずにいなかったこと。
そしてメールの既読もついていないこと。
(……本当に、女と出かけてたり、するの……?)
ミクは書類に目を落としながら、ペンを握る手に無意識に力が入る。
ページをめくる指先が止まり、呼吸が浅くなる。
心の中で“嫉妬”という言葉を否定しながら、それ以外の感情が見つからなかった。
「……っ、何やってんだろ、私……。」
ぽつりと小さく呟いた声は誰にも届かず、パソコンの冷たい光の中に消えていった。
まるで、彼が自分を“遊び”の1つにしているのではないかという不安。
抱かれた夜の熱が、本物だったのかという疑念。
全てが静かに混じり合い仕事に集中しようとすればするほど、頭の奥に甚爾の横顔がちらついた。
(……ズルい。私ばっかり、考えてる……。)
キーボードに落ちた自分の影が、小さく震えていた。
スマホのバイブが鳴る。
デスクの片隅で光るその名前に、ミクの指が一瞬止まる。
甚《今夜は遅くなるのか》
たったそれだけの、そっけないメッセージ。
普段なら何気なく返していた1文が、今日はどこか引っ掛かった。
既読をつけたまましばらく放置し、やがて1言だけ返信した。
《残業。帰り遅い。》
句読点も顔文字も、気遣いもない。
打ち込んだ文字には、どこか突き放すような温度が滲んでいた。