第3章 知らない顔なんて出来ない
11:30。
オフィスの空調は快適なはずなのに、ミクの身体はなぜかじんわりと熱かった。
デスクには報告書、右手にはマウス。
同僚たちのキーボードを打つ音が淡々と響く中、彼女は必死に仕事モードを装っていた。
――なのに。
突然、ポケットの中のスマートフォンが震えた。
「……ん?」
取り出すと、見慣れないアドレスからのメッセージ。
《気持ちよさそうだったな、昨夜のミク。》
「……っ。」
画面を見た瞬間、ミクの指が震えた。
(誰?)と問いかけるまでもない。
言葉の端々に滲む傲慢さ。
記憶に新しい、あの低い声。
――伏黒甚爾。
「……いつ……登録、したの……?」
脈打つように胸が高鳴る。
スマホを両手で包み込み誰にも見られていないことを確認しながら、返信もせずにそっとスリープにした。
けれど、間を置かずしてまた震える。
《今、どんな顔してんだ? まさか濡れてないよな。》
「……っ!」
思わず声が漏れそうになり、慌てて口元を手で押さえる。
悟「ミク、大丈夫?」
向かいの席の先輩が顔をのぞかせてきて、彼女は必死に微笑んだ。
「は、はい……なんでもないです……。」
なんでもない、なんて――
全然違う。
心臓の鼓動は速く、背中にはじんわりと汗が浮いている。
スカートの奥、下着の布地がやけに貼りついて感じるのは気のせいではなかった。
「……やだ、もう……ほんと、最低……。」
小声で呟きながら、再びスマホを開く。
そこにはさらにもう1通、追い打ちをかけるように新しいメッセージが届いていた。
《今夜、声ガマンできるか試してやるよ。下の階まで響かせてみろよ。》
思い出してしまう――
昨夜のこと。
声が漏れないように枕に顔を押しつけたことも何度も果てて尚、甚爾に貪られ続けた感覚も。
じわ、と脚の奥が疼き思わず脚を閉じた。
(……もう、ほんと……あんなの……。)
言葉にできないほどに、彼の残像が身体に染みついている。
なのに彼の名前を連絡先から消すことも、メッセージを拒否することもできない。
ミクはスマホを伏せ、唇を噛んだ。
(……来るなら……来ればいい。……私、もう……。)
心のどこかで、期待している自分がいることを、否定できなかった。