第22章 甘い余韻
女「甚爾の……今、隣にいる人。」
まるで答え合わせのように、彼女は言った。
なぜこの女が、自分の名前を知っているのか。
どうして今、ここでこんなふうに対面しているのか——
頭の中が軽く混乱する。
女「ねえ、あの人……今も、変わらない?」
彼女の瞳が一瞬だけ細められる。
まるで、遠い記憶を懐かしむように。
女「冷たくて、不器用で……でも、1度だけ、優しく抱いてくれた夜があった。全部が嘘でも良いから、あの1晩だけは、本当だと思いたいの。」
ミクは息を呑んだ。
彼女は微笑んでいた。
でもその微笑は、あまりにも切なく哀しかった。
「……どうして、今さら?」
問いかけると、彼女は一瞬だけ視線を泳がせた。
そして、まるで吐き出すように言った。
女「私、あの人に捨てられたあと、何度も夢に見たの。何を間違えたのか、どこで嫌われたのか、わからないまま置いていかれて……。」
「それでも、まだ好きなの?」
ミクの声は震えていた。
心の奥にざわりと広がる、黒い何かが疼いていた。
彼女は静かに、けれどはっきりと頷いた。
女「うん。まだ好き。忘れたくても忘れられない。……だから、あなたの顔を見て、ちゃんと終わらせたかったのかもしれない。」
「終わらせる……ために?」
女「そう。だって、もう手を伸ばしても届かないって、わかってるから。でも1度だけ、聞いておきたかったの。——あの人あなたには、ちゃんと優しい?」
ミクは答えられなかった。
優しさ。
それは甚爾が最も苦手とするものだった。
時に乱暴で支配的で、言葉をくれない彼。
けれど、その奥にある“壊れた優しさ”を、ミクは知っている。
その沈黙が、何よりの答えだったのかもしれない。
彼女はほんの少し微笑むと、かすかに頭を下げた。
女「……そっか。なんか、安心した。あなたが羨ましい。……どうか彼を、ひとりにしないで。」
そう言い残し、彼女は人混みに紛れて歩き出した。
その背中は、どこまでもまっすぐで悲しくてけれど、どこか清々しかった。
残されたミクは、その場で立ち尽くす。
胸の奥で、何かが静かに軋んだ。
——あの人が抱えてきた過去の重さを、あなたは今、確かに知ったのだった。