第16章 触れられた記憶
午後も終わりに差し掛かった頃。
ふと気づけばデスクの周りにいたはずの社員たちはみな帰り支度を済ませ、オフィスには静けさが満ちていた。
悠「……なあ、今日も残業? 俺、もうちょっと資料まとめないとでさ。」
隣の席で声をかけてきた悠仁に、彼女は自然と頷いた。
気づけば、彼と一緒に過ごす時間が当たり前になっていた。
誰に誘われるでもなく、ただ隣にいて時折ふざけながらも真面目に仕事をこなしていくその時間が居心地良かった。
悠「飲み物、買ってくる。何かいる?」
「じゃあ……コーヒー、甘いやつ。」
悠「了解。」
そう言って立ち上がった彼の背中を、無意識に目で追っていた。
肩幅の広さ、いつも笑っているけれど時折見せる真剣な横顔―――
そのすべてに、いつのまにか目を奪われていた。
数分後、缶コーヒーを手に戻ってきた悠仁は彼女のデスクにそれをそっと置いた。
悠「熱、ぶり返すなよ。あんまり冷やすのもよくないって言うし。」
「……ありがと。」
彼女は缶を手に取り、そっと微笑む。
言葉にしなくても伝わってくる、彼の優しさ。
それがどこか心をほぐしていく。
悠「……なあ。」
彼が唐突に口を開いた。
その声はどこか慎重で、でも何かを決意しているような響きを含んでいた。
悠「前から、ちょっとだけ思ってたんだけどさ……俺のこと異性として見たことって、ある?」
缶を開ける音が、微かに空気を裂いた。
「……え?」
悠「いや、ごめん。変なこと言って。でも、最近ずっとミクのこと見てて……。」
そこで言葉を止めた悠仁は、真っ直ぐに彼女を見つめていた。
視線を逸らさず、どこまでもまっすぐに。
その言葉が、静かにオフィスの空気を変えた。
冗談でも、気まぐれでもない。
不器用な言い回しの中に、本気が滲んでいた。
彼女は言葉を探しながらも、何も返せなかった。
胸の奥がざわめいていた。
今まで誰にも抱いたことのない、安心感。