第8章 注がれる視線、消えない予感
委員長決めが決まったあと、移動の合間の廊下。
次の授業の資料を抱えながら、急ぎ足で角を曲がった瞬間。
「わっ」
軽い衝撃。
腕の中のプリントがふわりと宙に舞った。
「す、すみません!」
聞き慣れた声。
が顔を上げると、目の前にいたのは瀬呂だった。
瀬「あ、先生!大丈夫っすか?」
廊下に散らばった紙を、ほぼ同時にしゃがんで拾い始める。
指先が、同じ一枚に触れた。
ぴたり。
一瞬だけ止まる空気。
顔を上げると、距離が思ったより近い。
目が合い、心臓がどくん、と鳴った。
慌てて手を引こうとした、その瞬間。
瀬呂の指が、軽くの手を掴んだ。
ほんの一瞬、でも確かに止めるように。
瀬呂自身もハッとした顔をする。
瀬「……あ」
驚いているのは、瀬呂のほうだった。
それでも、離さない。
「……範太?」
そっと名前を呼び、ゆっくりと顔を覗き込む。
呼吸が、かすかに触れそうな距離。
瀬「……っ先生、無防備すぎっすよ」
低い声。
いつもの軽さが、ない。
「え……?」
瀬「俺、一応……男なんで」
その一言が、やけに真っ直ぐに胸に刺さる。
どくん、と遅れて鼓動が跳ねる。
瀬呂の喉が小さく動く。
それから、ようやく手を離した。
少しだけ名残惜しそうに。
瀬「困らせるつもりはないっす」
目は逸らさないが、どこか揺れている。
瀬「でも……ゼロじゃないってことだけ、覚えといてください」
「え……どういう……?」
ほんの少しだけ笑って、でもその笑みはどこかぎこちない。
瀬「じゃ、またあとで!先、教室行ってますね!」
くるりと背を向けて、いつもの調子で歩き出す。
軽い足取り。
でも、肩だけがほんの少し強張っている。
瀬(……まじ、危な……)
自分の手をぎゅっと握りしめる。
廊下の向こうへ消えていく背中。
はしばらく動けないまま、その後ろ姿を見つめていた。
胸の奥に残る、体温の余韻。
……ゼロじゃないって、どういう意味?
答えの出ないまま、資料を抱え直して教室へ向かう。
鼓動だけが、まだ落ち着かないままだった。