第8章 ・記憶
その長いピンク色の髪の合間から、サマエルに似た小さな紅い蛇が、顔を覗かせている。
その声は絹を撫でる様に柔らかく、その場の空気を変える程に妖艶であった。
「私は魔王サマエルが妻……カディシュトゥの一柱、女魔リリスである。ロロノア・ゾロよ……お初にお目に掛かる」
礼儀正しい挨拶の奥に、微かな誘惑が滲む。
その熱い視線が、ゾロの瞳を射抜く。
だがゾロは、微かに眉を動かしただけで視線は逸らさなかった。
彼の理性は揺るがず、それはまるで鍛えられた鋼の様に、強靭であった。
(……やはり、この男は強い。並の男なら、一撃で私の虜になると言うのに……)
リリスの唇が僅かに綻ぶ。
蛇がその白い腕に絡み付き、ゾロへと向かって舌を伸ばす。
「……そなた、まさか死皇帝の魂の記憶が蘇ったのか?」
「……ああ、少しだけな……」
低い声が、短く返る。
その落ち着きに、彼女の瞳が一瞬光を湛えた。
彼の言葉の端々に誠実さが現れている事を感じると、リリスは柔らかく微笑んだ。
「……そなたは、やはり理性の強い男だ。魂そのものが、鋼鉄の様であるな」
その声は、周りに僅かな熱を齎して行く。
ゾロはその気配を感じながら、静かに答えた。
「……体も精神も理性も、日々の修業で鍛えてる。必要以上の欲は、剣の道の邪魔になるからな」
リリスはその言葉に、視線を落とす。
理性……それは彼女が最も遠い所に置いて来たもの。
だが今、目の前の男の中にそれを見て、心の奥で小さく微笑んだ。
「そなたは、嘗ての死皇帝よりも、遥かに強い男だ……」
その言葉は、彼女の後ろに控えているナアマの顔に、一瞬暗い影を落とした。
ゾロは、その影……闇を微かに感じ取ると、静かに目を伏せる。
(こいつは……そうか……)
過去と現在が細い糸で結ばれた様な雰囲気が、大広間に漂う。
僅かに蘇った死皇帝アポフィスの記憶を辿り、静かな口調で言った。
「前の死皇帝が玉砕する時……蘇った時に備えて『魂の器』を用意してくれると……サマエルはそう約束してくれたそうじゃねえか。その為にサマエルは、おれの先祖と交わっちまった……お前等にしたら、気持ちのいい話じゃねえだろ……浮気も同然だからな……嫌な思いさせちまって、悪かったな……」