第8章 ・記憶
その一歩毎に、甘く濃密な香気が大広間を満たし、男達の視線を釘付けにする。
瞳は紅玉の様に艶めき、微笑み一つで命を奪う程の誘惑を孕んでいた。
その背に続くのは、第二夫人『ナアマ』。
顔の右半分と左腕、右脚が漆黒の骸骨の様な異形であるが、寧ろその欠損が、彼女の肉体の艶を際立たせている。
滑らかな肌と漆黒の骨の対比が見る者の理性を溶かし、その場を甘い熱で満たして行った。
次に来るは、体に白い紋様を纏い小さな黒き羽を広げた第三夫人『エイシェト・ゼヌニム』。
その無表情な黒面は、恐怖を与える美そのもの。
そして最後に、銀髪に尖った帽子を被った第四夫人『アグラト・バト・マラト』が姿を見せる。
彼女は魔女に似た笑みを見せ、男を破滅へと誘う甘い毒を秘めていた。
その先頭を行くサマエルが、重々しく進み出る。
大広間の蝋燭の炎が、一斉に揺らめき、魔王達は息を飲む。
紅い蛇の魔王……その力強さを感じたゾロは、その場に立ち上がる。
魂の奥にある薄っすらとした記憶を感じつつ、彼はサマエルを見上げた。
背筋を伸ばし、はっきりとした声で、紅い蛇の魔王を呼び止める。
「お前が……サマエルか。おれは、ロロノア・ゾロ……おれの先祖と交わった魔王ってのは、お前だな」
サマエルの瞳に、嘗ての友の姿が浮かぶ。
ゾロの姿と友の姿が自然と重なり、そしてゾロの姿だけが、強く浮き上がる。
魔王サマエル……その威厳ある静かな声が、彼の耳に届く。
「如何にも……我は邪神にして魔王サマエルである……お前の先祖と交わったのは、紛れもなく、この私だ」
ゾロの肩から力が一瞬抜け、深い呼吸を一つする。
「……このおれの『魂の器』を作る為に……サマエル、礼を言う……」
言葉を吐き出したその時、胸の内が小さく震えた。
そして、ぎこちなくも丁寧に頭を下げる。
その所作は、恭順でも屈辱でもなく、感謝と覚悟が混ざったものだった。
周囲の空気が静かに流れ、誰もがその場面を見守る。
彼の魂の片割れである死皇帝に代わり、ゾロは謝意を伝えたのだ。
そんな振る舞いに、彼等を見守る者達の表情が微かに変わった。
サマエルの第一夫人……リリスである。
彼女は靭やかに歩み寄り、ゾロの前で、ふっと、微笑んだ。