第2章 翅(はね)の記
静寂に包まれた夜。
家の中には、言葉では言い表せないほどの、張り詰めた空気が漂っていた。
お父さんとお母さんの顔には、疲れと焦り。
何かを隠そうとしているのに、それが逆に伝わってきて——
想花は、小さく体を震わせていた。
⸻
玄関のチャイムが、冷たく、鋭く鳴り響いた。
それだけで、家の空気が凍るようだった。
お母さんがゆっくりと立ち上がり、
わずかに震える声で、ぽつりとつぶやいた。
「……来てしまったわね」
お父さんは、深く息を吸い込んで、
想花の肩に、そっと手を置いた。
「想花。今から、俺たちがここで時間を稼ぐ。
絶対に、必ず戻ってくる。だから……お前は逃げるんだ」
その目は、恐怖と決意で揺れていた。
お母さんも、涙をこらえながら、
まるで抱きしめることしかできないかのように、想花を強く抱きしめた。
「大丈夫よ、怖がらないで。
想花……あなたは、まだ守られるべき存在なの」
そして——
そのとき。
静寂を裂くように、家の奥から、冷たく低い声が響いた。
「……逃げられると思うなよ」
それは氷の刃のように鋭くて、
空気ごと切り裂かれたように、家中の温度が一気に下がった。
⸻
お父さんがすぐに動いた。
手をかざすと、空間がふわりと揺らぎ、
想花の周囲に柔らかな光が舞いはじめる。
世界が、ゆっくりとねじれていく。
眩い光に包まれながら、想花の視界が真っ白に染まった。
——そして次に目を開けたとき、
そこには、見知らぬ祖母の家の風景があった。
けれど。
心の奥に、深く、深く焼きついていたのは、
逃げる直前に、思わず振り返って見た——あの光景だった。
⸻
血に染まりながらも、
どこまでもやさしく微笑む、両親の姿。
お母さんの唇が、最後に動いていた。
『心から……あなたを、愛している』
その言葉は、
想花の胸に、あまりにも強く深く刺さって——
それからずっと、静かに、ずっと響き続けている。