第2章 翅(はね)の記
それから、数日が経った。
家の中は、どこか静かだった。
ほんの少し、音のない雪が降っているみたいな、そんな静けさ。
お母さんは、笑っていた。
ごはんも、おやつも、いつも通りだったし、
寝る前には、変わらない声で絵本も読んでくれた。
でも——
その笑い方だけが、ほんのすこしだけ、ちがっていた。
ほんの一拍、遅れて笑う。
目元が、すこしだけ動かない。
それがなにかはわからないけど、
わたしはなんとなく、感じ取ってしまっていた。
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お父さんは、なにかに追われていた。
電話をしたり、分厚い書類を広げたり、
ときどき、誰かと会って帰ってくる日もあった。
ふと漏れる声が、聞こえてくる。
「……まずいな……」
それは、わたしが知らない大人の声だった。
夜になると、お父さんとお母さんが、
わたしが眠ったと思っている隣の部屋で、小さな声で話している。
——こっそり耳をすませると、知らない言葉が耳に届いた。
「まさか、治癒の作用まで……」
「可能性の話でしかないけど、もし“願い”が引き金になってるなら……」
「……奴が動く」
“ちゆ”?
“……ねが、い”?
“やつ”って、だれ?
どれも知らない言葉ばかりなのに、
その声のトーンだけが、はっきりと伝えていた。
ふたりは、なにかに怯えてる。
だけど、それでも。
ふたりとも、わたしにはなにも言わなかった。
ただ、これまでと変わらないやさしい声で話してくれて、
何度も、何度も抱きしめてくれた。
まるで——何かを伝えるように。
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ある夜、お母さんがわたしの髪をなでながら、ぽつりと言った。
「ねえ、想花。もしね、大切な人が困ってたら……あなたは、どうする?」
『うん? 助けてあげるよ!』
それは、迷う必要なんてなかった。
あたりまえのことみたいに、まっすぐそう答えた。
すると——
お母さんの目に、ぽろっと涙が浮かんだ。
それを隠すように、
わたしの額にそっと口づけを落として、
お母さんは、震える声で言った。
「……えらい子ね。ほんとに、えらい子……」
そのときのぬくもりは、今でも、ずっと残っている。
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