第20章 仮面と素顔
「……だが、詮索するつもりはないよ」
仮面を外したままの彼が、ふっと微笑んだ。
その表情には、何も問わず、でもすべてを見透かしたような気配が滲んでいる。
「この世界は、真実を知るより“信じたい姿”を見ている方が、心地いいこともある」
「だから、信じることにするよ。
“風使いのカゼヨミ”が――偶然、俺を救ったってことをね」
私は何も言えなかった。
言葉を返すほど、嘘が下手になる気がして。
彼は静かに立ち上がる。
あくまで自然な所作。けれど、それはどこか“終わりの合図”のようにも感じられた。
「ありがとう。“君”の風は、悪くなかったよ」
扉の前で一度だけ、彼が振り返る。
あの目が、まっすぐこちらを見ていた。
私は瞬きをしなかった。
視線を外すのが、負けのような気がして。
「……ただひとつだけ。忠告しておくよ、カゼヨミ」
『……?』
「この場所に“正しさ”を持ち込むと、
……君自身がすり減っていく」
その言葉が、静かに胸の奥へ落ちていく。
私は、何も返せなかった。
彼は肩をすくめるようにして、手に仮面を取った。
笑うような、優しいような顔で、それをゆっくりと自分の顔に戻す。
そして、最後にもう一度だけ――
「――もっとも。
君が“助けが欲しい”時は、俺も手を貸そう。借りは、作りっぱなしにしたくないからね」
今度の声は、仮面越しだった。
さっきより少し遠いのに、なぜかさっきより、胸に近く響いた。
彼の背が、扉の向こうへ消えていく。
何も言わず、何も追わず、ただその背中だけを見送った。
風が吹いた気がした。
閉ざされたこの部屋の中で、微かに空気が揺れるのを感じた。
私は、そっと右手の薬指に触れる。
仮の姿のこの体に、
唯一、“私”のままで持ち込んだもの。
ホークスからもらった、この指輪だけは――外せなかった。
見つかるかもしれない。疑われるかもしれない。
それでも、外せなかった。
この姿では伝わらなくても。
この名では、もう呼ばれなくても。
それでも私は、
彼が“私”を見つけてくれると――願っていた。
名を呼んでくれる、あの人の風に。
私の願いが、必ず還る場所に。
私の“想い”が、誰かを救えるものであるようにと、
そう祈りながら。
――私は、この指輪を外さなかった。