第17章 死穢と光の狭間で
重たい扉が閉まる音がした。
殺風景な空間。
公安が用意した、簡素な“事務所”と呼ばれる部屋。
私は静かに、変身を解く。
鏡の前に立つ自分の姿は、
“何もなかったふり”ができる少女。
(……戻ってきちゃった)
コートを脱いで、小さなトランクに服を詰める。
髪の色も、瞳の色も、本来の“私”に戻して。
明日からは、また雄英高校の生徒として――
何も知らないふりをして生きていく。
「ずいぶん遅かったな」
背後から響いた、男の低い声。
振り返らなくてもわかる。公安の“監視担当”──あの男。
『……報告は、書面で提出済みです』
「読ませてもらった。充分な働きだったよ」
男は気のない声でそう言うと、部屋の隅にある椅子に腰かけた。
「明日からは、いつも通りの生活に戻れ」
その言葉に、私は目を伏せる。
『……何も、なかったように?』
「当たり前だ。君の任務はまだ終わっていない」
「“想願”の適応率、戦闘能力、回復能力――
どれをとっても、君は最上級の“資産”だ」
ぞっとするほど冷たい視線が、肌をなぞる。
私は黙って、トランクの口を閉じた。
男が部屋を出て行き、再び扉が閉まる。
部屋の中に残るのは、
どこにも逃げ場のない、静寂だけだった。
私はゆっくりと、携帯を取り出した。
公安に預けていたそれが、ようやく手元に戻ってきた。
小さな画面を見つめる。
今この瞬間だけは、誰にも覗かれない、“私だけの時間”。
点灯した通知の中に――
ひとつだけ、光るものがあった。
不在着信:1件
送信者:鷹見 啓悟
『……っ』
ほんの一件の通知。
それだけなのに、胸が熱くなる。
(……信じて、待っててくれた……?)
通信が遮断されていた数週間。
それでも彼は、何度もこの番号を開いてくれていたのだろうか。
想像するだけで、涙が出そうだった。
私は、そっと画面を撫でる。
(……啓悟)
心の中でその名を呼んだ瞬間、
全部が溢れそうになる。
でも、まだ泣くわけにはいかない。
私は、ちゃんと――帰るためにここにいるんだから。
震える指先で、彼の名前をタップする。
コール音が、鳴り始めた。
誰かの命令ではなく、
“私”の意思で、繋ぎにいく。
あの温もりのある場所へ――