第17章 死穢と光の狭間で
箸の音が止んで、
湯気も、すこしずつ落ち着いてきた頃。
壊理ちゃんは、ごちそうさまも言わずに、静かに手を置いた。
「……全部、食べた」
そう言って、小さく口を拭う。
『うん。えらいね』
返した私の声に、自然と安心の色が混ざった。
この子の“少しずつ”に触れるたび、胸の奥がふっとほどけていく。
それから少しだけ、沈黙が流れる。
ふと壊理ちゃんが目線を落としたまま、ぽつりと口を開いた。
「……この間、逃げちゃったとき」
私は言葉を挟まず、続きを待った。
「……誰かが、手を、握ってくれたの。すごく、やさしかった」
『うん』
小さく返す。
壊理ちゃんはどこか遠くを見るように、ゆっくりと思い出しているようだった。
「緑の髪の、優しい目の男の子。
隣にいたお兄ちゃんが……“学生”って言ってた」
──わかった。
それが誰なのか、すぐに。
「名前、わかんないけど……その人が“大丈夫”って言ってくれたの。
……こわくなかった。あのときだけは」
壊理ちゃんの声はまっすぐで、あたたかかった。
その言葉の中に、あの子が“何を受け取ったのか”が、ちゃんと詰まっていた。
デクくん。──緑谷出久。
クラスメイトで、仲間で。
不器用なほど真っ直ぐで、心の底からヒーローになろうとしている男の子。
その時も、壊理ちゃんに手を伸ばしていた。
誰よりも強く、誰よりも優しく。
胸の奥に、あの日の光景がふっとよみがえる。
彼の声。お茶子ちゃんや三奈ちゃんの笑顔。
焦凍の優しい目。そして――勝己の口は悪いのに優しい手。
私の、“居場所”だったはずの空間。
でも、今の私は──
その輪の中には、もういない。
「……また、会えるかな」
壊理ちゃんが、ぽつりと問いかけた。
『うん』と言えなかった。
願うほど遠くなる気がして。
言葉にするには、あまりにも苦しかったから。
かわりに私は、彼女の髪をそっと撫でた。
『にんじん、明日も抜きにしとくね』
壊理ちゃんは、なにも聞かずに小さく頷いた。
ほんの少しだけ、その手が私の袖をつまんだのに、気づかないふりをした。
静かな部屋に、ふたり分の沈黙だけがやさしく漂っていた。