第15章 忍び寄る影
取引のはずだった。
条件を擦り合わせて、利害を確認して、
ただそれだけで終わると思っていた。
けれど──今、目の前にあるのは。
……空気が、裂けていた。
湿ったように広がる血の色が、床一面を染めている。
その中心に、何かが転がっていた。
──脚だった。
人間の、脚。それだけ。
どこにもつながっていない“半身”だけが、
ぽつりとそこに残されている。
それは、マグネの──下半身だった。
上半身は……ない。
吹き飛ばされたのか、消えたのか、わからない。
ただもう、ここには存在していなかった。
床にも、壁にも、赤い飛沫が散っている。
まだ乾ききらない血のにおいが、喉の奥にこびりついた。
息をするたび、胸が痛む。
……見てしまった。
理解よりも先に、反応していたのは身体のほうだった。
寒くもないのに、指先がかすかに震えていた。
少し先で、Mr.コンプレスが蹲っていた。
左肩を抱え、歯を食いしばっている。
肩口からは肉が剥き出しになり、骨も見えていた。
その断面からは、血が床に滲んで広がっていた。
ほんのさっきまで“あった”ものが、
こんなにも簡単に、あっけなく、奪われる。
その異常が、静けさと共に空間を支配していた。
息を呑む音すら出せないまま、時が、止まっていた。
「テメェ……!!」
怒声が空気を破った。
死柄木が、前へ出る。
その全身からあふれる怒気は、重く、鋭い。
彼の手が、床に向かって伸びていく。
──崩壊。
何が起こるのか、考えるまでもなかった。
わたしはもう──動いていた。
頭で考えるよりも早く、
足が勝手に、前へ出ていた。
治崎の前に、立つ。
右手を、そっと掲げた。
誰にも目を向けないまま、
何も言わずに、ただ。
空気を止めるように。
この場を裂く“怒り”と“破壊”を、ただ封じるように。
わたしの“願い”が、境界を引いた。
目に見えないはずのその力が、
確かに何かを──遮った。
壊させない。
これ以上、誰も。
それだけだった。