第15章 忍び寄る影
「……お前、あの子に顔を見せたんだってな。」
治崎の声は、いつもの無感情なものよりも、わずかに興味を含んでいた。
目線だけで答えると、彼はポケットから黒手袋を外しながら続けた。
「壊理の管理、しばらくお前に任せる。……どうせここには女がいねぇ。」
その言葉には、利便性以上の感情はなかったはずなのに、
心の奥がわずかに震えた。
(……彼女のそばにいられる。なら……)
私は、頷いた。
⸻
部屋の扉を開けると、壊理ちゃんは同じ場所で小さく座っていた。
目を伏せたまま、声もなく、まるで置物みたいに。
『……また、来たよ。』
そっと声をかけると、彼女の指先がぴくりと動く。
『今日は何も持ってこなかったけど……一緒にいてもいい?』
壊理ちゃんは、小さく首を縦に振った。
床に座って、少しだけ距離をあけて並ぶ。
彼女の髪は細くて、透けそうで、触れるのも怖いくらいだった。
しばらく沈黙が続いたあと、壊理ちゃんがぽつりと呟いた。
「……ヒーローじゃ、ないの?」
『……』
言葉が喉に詰まった。
嘘は言えない。
けれど、“正解”もわからない。
『……ヒーローだった。けど、今は……わからない。』
壊理ちゃんは、うつむいたまま指先を握る。
「……ここにいる人たち、ヒーローのこと、嫌い。だから、私……話しちゃいけないのかと思った。」
『……そんなことないよ。私は、壊理ちゃんと話したい。』
言葉に嘘はなかった。
私自身も、その言葉にすがっていた。
壊理ちゃんの表情が、ほんの一瞬だけ揺れる。
でもすぐに、また閉じるように伏し目になった。
「……ここ、痛い匂いがする。」
『……うん。』
「でも、匂いに慣れたら……怖くなくなるの。……それって、変?」
変じゃない、って言いたかった。
でも、慣れてしまったそのことこそが痛くて――
私もまた、装置に縛られた体をそっと抱きしめるしかなかった。
『……私は、まだ慣れたくないって思ってる。』
たとえ、壊理ちゃんがそう思えなくなっても。
私がここにいる意味は、たったひとつ。
この子を、こんな空気から――
壊される前に、誰よりも先に“想って”あげたい。