第15章 忍び寄る影
薄暗い部屋で、小さな鏡の前に立つ。
制服を脱いで、公安から“インターン活動”と偽って許されたヒーローコスチュームに袖を通した。
とは言っても、私のそれはほとんど私服と変わらない。
ただ、襟元まで隠れる黒いインナーだけが、
鎖骨の奥に埋め込まれた“首輪”を覆い隠してくれている。
『……これで、大丈夫……』
誰に言うわけでもなく、小さく呟いた声が壁に吸い込まれる。
ノックの音が響いた。
一度だけの短い音なのに、背筋が凍る。
ドアがゆっくり開いて、見覚えのないスーツ姿の男が立っていた。
公安の人間――昨日の会議室にいた、あの男だ。
「準備はできたか?」
低い声が、感情の隙間を全部塞ぐみたいに無機質だった。
私は小さく頷いてみせる。
『……はい。』
「今日から君は“ヒーロー”じゃない。囮だ。
監視の目を引き寄せて、相手に“君を使わせる”。
失敗は許されない。」
淡々とした言葉が、胸の奥に冷たく沈む。
「任務中は外部との連絡は制限される。
身分を偽って動くから、表向きはインターンということにしておくが……
当然、誰にも漏らすな。わかるな?」
『……はい……。』
声が少しだけ震えたのを、自分で気づいて慌てて口を噛んだ。
でも男は気に留める様子もなく、机に小さな書類の束を置いた。
「これが今回の行動計画だ。
“彼ら”が君に接触してくるまでに、時間はそうかからないだろう。」
男の目が、私の胸元――服の奥の装置に一瞬だけ落ちた。
『……もしもの時は……』
「安心しろ。
我々が君を見捨てることはない。
ただ――裏切れば、それ相応の“結果”を忘れるな。」
優しい声に見せかけた最後の釘刺しが、
無機質な部屋にぴたりと馴染んだ。
男が出て行った後、閉まるドアの音が耳の奥で鈍く響いた。
静かなはずの部屋が、妙に息苦しい。
鏡に映る“私”は、ヒーローの顔をしているのに――
その瞳だけが、どこまでも逃げ場を失っていた。