第12章 あの日の夜に、心が還る
買い物袋を抱えたまま戻ってくると、
街の雑踏とは裏腹に、みんながいるはずの場所はひどく静かだった。
『……どうしたの?』
さっきまで賑やかだったはずなのに、
まるで誰かが時間を止めたみたいに──
空気が、張りつめていた。
近づくと、切島くんや耳郎ちゃんが、沈んだ顔で固まっていて。
その視線の先には……緑谷くんがいた。
彼は、警察の人と話していた。
勝己は少し離れたところで、腕を組んで黙り込んでいて、
その横で八百万さんがそっと息をのんでいた。
「……さっき、緑谷が、ヴィランに接触されたの」
耳郎ちゃんがぽつりと教えてくれた。
『……っ』
胸の奥が、冷たい手で掴まれたみたいに凍りつく。
緑谷くんが?
今、こんな何気ない日常のなかで……?
思わず手に持った袋が揺れた。
けれど──
それを聞いた瞬間、私の心に浮かんだのは、
“彼”の姿だった。
暗がりで、どこか懐かしそうに私を見つめて、
熱を帯びた声で囁いてきた、あの男の人。
まだ名前も知らない。
なのに、心に焦げ跡みたいなものを残していった。
言わなきゃ、って思った。
でも──言えなかった。
だって私は……
あのとき、少しだけ惹かれてしまったから。
あんなに危うい空気をまとっていたのに。
それなのに、あの瞳が、妙に静かで、悲しそうだったから。
『……そっか、緑谷くん……大丈夫、かな』
笑ってみせた声が、少しだけ震えた。
でも誰も気づかないふりをしてくれた。
耳郎ちゃんが、じっと私を見つめたまま、小さくうなずいた。
みんな、それぞれに不安を抱えていた。
この日常が壊れるんじゃないかって、
まだ見えない何かが、すぐそばまで来てるような、そんな気配がしていた。
けれど私は、ただ笑うことしかできなくて。
“何もなかったように”袋を掲げて、「お土産買ってきたよ」と言った。
その声に、少しだけ空気が緩んだ。
けれど──どこか、戻れない何かが始まっていた。
夕日が、街をじんわりと赤く染めていた。
空が、滲むように暗くなっていく。
『……ねえ、次って、合宿だったよね』
そう呟くと、切島くんが「おう、楽しみだな!」って笑ってくれて、
私はその明るさに、また救われた。
このざわめきの意味も、
名前すら知らないあの人の正体も、
まだ全部、霧の中。
それでも──
私たちは、林間合宿へと、歩き出した。
