第10章 翼の約束
空をかきわけるようにして、ひとつの影が屋上へ上がってきた。
「──ここにいたのか。星野」
『あ、常闇くん』
彼は見慣れた制服姿で、薄暮のなかに立っていた。
少しだけ息を切らしながら、こちらへ歩いてくる。
「そろそろ戻ろう。夕食もあるし……ホテルのチェックインの時間も近い」
『うん、ごめん、今行く』
自然と背筋が伸びたのは、きっと気のせいじゃなかった。
さっきまで、すぐ隣で話していたホークスの存在が、
ほんの少し、遠くに感じられる。
「……やぁ、ツクヨミ」
ホークスが、すっといつもの口調に戻って微笑んだ。
その声は軽く、どこまでも“プロ”のものだった。
「大事なゲストを長く引き止めちゃ悪いよな。悪ぃ悪ぃ」
「いえ……失礼はしていないかと確認しに来ただけです」
「さすが、気ぃ利くねぇ」
笑いながら、ひらひらと羽根を一枚飛ばして、
ホークスは、もう“彼”じゃなかった。
風に逆らわず、空を泳ぐように身を翻す。
「じゃあな、"ウィルホース"。──また、明日」
『……はい』
名残惜しさを胸の奥にしまいながら、
私はそっと頭を下げる。
その瞬間、彼はもう、視界の向こうにいた。
高く、遠く。けれど、すぐそばにいた気配だけが、風の中に残っていた。
「……すごい人だな、ホークスは」
常闇くんがぽつりと漏らすように言って、
私は小さく頷く。
『うん。ほんとに……すごい人』
けれど私だけが知っている。
さっきまで、すごい“だけじゃない”彼が、すぐそばにいたことを。
私のなかで、あの日の夕陽と、あの赤い羽根の記憶が、
静かに重なっていた。