第9章 名前に込めた想い
シンクに立ち、湯気の立つ食器をひとつひとつ洗いながら、
私はなんだかずっと、胸の奥がぽかぽかしている気がした。
『……はぁ、やっぱり人と食べるご飯って、ちょっと特別かも』
そうつぶやいた瞬間、背後にふわりと気配が近づいてきた。
「……想花」
振り返る前に、腕がそっと回り込む。
焦凍の体温が、静かに背中に触れた。
『……どうしたの、急に』
「……ここに、いていい?」
静かに、だけど確かに心を揺らす声だった。
思わず息を呑んで、泡まみれの手を止める。
『……もちろん』
振り返って微笑んだとき、
焦凍の表情が、少しだけ緩んだ気がした。
目が合う。
でも、どちらからともなく、すぐに視線が落ちて──
唇が、触れるか触れないかの距離で止まる。
『……焦凍』
「……」
彼の手が、私の頬にそっと添えられた。
胸の奥に、言葉じゃない何かが、溢れそうになる。
だけどそのとき──
外の窓から、雷鳴のような音が響いた。
びくっとして、ふたり同時に外を見た。
土砂降り。いつの間にか、空は本気で泣いていた。
『……雨、すごいね』
「……初めて、この家に来た日みたいだな」
彼の言葉に、胸の奥がじんわり熱くなる。
『……あの日も、こんなふうに、帰れなくなって……一緒に眠ったよね』
「……忘れてない」
短くそう言った彼の横顔は、どこか懐かしげで、切なくて。
私たちのあの“最初の夜”が、ゆっくりと蘇っていくようだった。