第9章 名前に込めた想い
紅茶の香りが、ふんわりと部屋に広がっていく。
カップを両手で包みながら、轟くんは少しだけ目を細めた。
「……なんか、懐かしいな。ここでこうしてるの」
『ほんとだね。なんか……不思議な感じ』
「うん。久しぶりだから……かな」
ソファに座る彼の横顔は、いつもより少しだけ柔らかく見えた。
しばらく言葉がなかったけど、やがて彼は小さく息をついて、私の方を見た。
「……体育祭のあと、あまり話せてなかったよな」
『……うん』
「俺……自分のことで、いっぱいいっぱいだった」
その声は、少しだけ苦笑していた。
「緑谷と戦って……父親のこと、自分の個性のこと。色んなものがごちゃごちゃになって。……俺、あの時、自分がどう動いてたのか、正直よく覚えてないくらいで」
『そっか……』
私はただ、うなずくしかなかった。
あの時、私は私で精一杯だったから。
氷漬けにされて、気づいたら天井が見えていて――
「敗けた」ってことだけが、胸に突き刺さっていた。
「でも……あの時、おまえが俺とちゃんとぶつかってきてくれて。俺、嬉しかった」
『え?』
「おまえ、ボロボロだったのに、俺のことをまっすぐ見てた。
……覚えてる。最後まで諦めてなかった。俺、あの姿を見て……あぁ、すげぇなって思ったんだ」
『……轟くん』
紅茶のカップが少し熱くて、私はそっと指先を浮かせる。
「今ならちゃんと向き合えるかもしれない。……俺、自分と、親父と、ヒーローってものに」
そこで彼は、ふっと小さく息をついた。
「……だから、職場体験。エンデヴァーのところに行く」
『……えっ』
ほんの一瞬、心臓が跳ねた気がした。
「自分を、知るために。怖いけど、逃げてたらきっとこの先も変われないから」
まっすぐで、揺るがない眼差し。
それが、この数日の間にどれだけ彼が考えて悩んだのかを物語っていた。
『すごい、よ……轟くん。ちゃんと、自分と向き合おうとしてて』
「……ありがとな。お前と話せて、よかった」
カップを口元に運びながら、彼がぽつりと漏らしたその言葉。
あまりにもさりげなくて、けれど、胸の奥にぽたりと落ちるようだった。