第8章 優しい休日
チリン、と軽い音を立てて、ドリンクバーのグラスをセットする。
部屋を出てきた理由なんて、きっとバレバレだ。――質問攻めからの逃走。
『はぁ……なんか、熱い……』
頬に手をあてながら、メロンソーダを注ぐ。火照りはなかなか引かなくて、心臓の鼓動もまだうるさい。
その時だった。
「ねえ、君――雄英の子でしょ〜?昨日見てたよ、俺。やっぱ君、超可愛い〜〜」
背後から、突然声をかけられる。
反射的に振り返ると、見知らぬ男。
笑ってはいるけど、軽いその目に、思わず身体がこわばる。
『……すみません、人違いです』
なるべく穏やかに、静かに離れようとした瞬間、
腕を掴まれそうになって――心臓がドクンと跳ね上がった。
『や、やめて――』
「ちょ、やめとけよ。……その子に何してんだよ」
低くて、でもどこか安心する声が割って入る。
男の横から、頼もしい影が現れた。
切島くん。
普段は明るくて朗らかなクラスメイト。だけど今は、眉間にシワを寄せて、真っ直ぐに私を見ていた。
「この子、俺と来てるんだわ」
「……なんだよ、男連れかよ」
「つーか、カラオケまで来てナンパとか、超だせーから。帰れよ」
その一言で、空気がピシリと引き締まる。
切島くんの眼差しに、ナンパ男は舌打ちして、しぶしぶ背を向けた。
『……ありがとう、切島くん』
「気にすんなって!俺も、偶然男子の打ち上げで来ててさ!……もしかして、女子も?」
少しだけ口元をゆるめた彼の声が、いつもの明るさを取り戻していく。
ちょうどそのとき、ドリンクを手にした上鳴と三奈ちゃんが駆け寄ってきた。
「ちょ!想花〜!?大丈夫だった!?切島、ナイスぅ!」
「え〜!じゃあもう男子も合流でよくない!?カラオケだし!打ち上げだし!!」
『え、ちょ、ちょっと待って!?』
空気が一瞬で、あのにぎやかなリズムに引き戻される。
わけもわからないまま、足元まで流れに巻き込まれていく中で――
ふと、切島がそっと私を見ていた。何も言わず、でも確かに、気遣うようなまなざしで。
(……助けてくれて、ほんとにありがとう)
その言葉は、心の中にそっとしまい込む。
私は黙ってグラスを持ち直し、みんなの笑い声が聞こえる部屋へと歩き出した。
――まだ、この一日は終わらない。