第1章 「スコールの下、君がいた」
「し、失礼します……っ」
逃げるように軒先から出ようとした私の腕を、そっと優しく掴むようにして、その声が引き留めた。
「…ちょ…そんな急がんでも。まだ、めっちゃ降ってますよ」
振り返ると、彼は少し困ったように眉を下げながらも、どこか安心させるような微笑みを浮かべていた。
気遣うようなその目はまっすぐこちらを見ていて、声も柔らかかった。無理に引き止めるというより、心配してくれているのが伝わる。
私はばつが悪くなって、何も言えずにまた同じ場所へ戻る。
……沈黙。気まずさを誤魔化すように、自分の気持ちを落ち着ける様に再びタバコに火を点けた。
「……それ、美味しいんですか?」
突然の問いに、私は煙を吐きながら少しだけ目を細める。
「美味しいってもんじゃないですけど……落ち着きます」
「ふーん……俺、吸ったことないんですよ」
「……でしょうね」
私の言葉に、彼は少し笑った。
「でも……なんか興味出てきたな。一本、もらってもいいですか?」
まさかの言葉に少し驚きつつ、私は無言でタバコを一本差し出す。 ライターで火を点けてやると、彼は恐る恐る吸い込んだ。
――そして、盛大にむせた。
「……ッ、ごほっ、げほっ……っはぁ……やっぱ無理やわ……」
その様子が可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「……最初はそんなものですよ」
彼も照れくさそうに笑いながら、火のついたタバコを私に返してくる。そこから、少しだけ空気が和らいだ。
名前も知らない彼と、たわいもない話をする。 降り続く雨。体が少しずつ冷えていく感覚がする。
「俺、今日ちょっと遠くから来てて……このへん、地理とか全然わからんくて…」
「そうなんですね、私は近いですよ。歩いて10分もかからないんです」
「……そうなんやね」
寒さのせいか、彼の肩が少し震えていた。
私は一瞬、躊躇った。 でも――
「うち、すぐそこなんで……よかったら、少し暖まっていきます?」
彼は驚いたような顔をして、それから少し困ったように笑った。
「……俺、男やのに、知らん女の子の家上がってええんかな」
「こっちも、知らない男を上げるのは初めてです」
と言って、自分でも可笑しくなった。
彼も笑って、そして
「じゃあ、お言葉に甘えて」
とついてきた。
歩き出す頃には、雨はすっかり小降りになっていた。
