第5章 「静けさの中で、滲む思いと触れそうな距離」
そんな2人だけの秘密の様な静寂の中でも、私の胸の奥がじくじくと疼いていた。さっきのセンラの"なぁ"の一言、それがなんだったのか。
私はまた落ち着かず、立ち上がり、ベランダの方へ向かう。
雨はまだ降り続いていた。窓越しに見える街灯の明かりが、雨粒をぼんやりと照らしている。私はそのまま、ベランダの扉を静かに開け、外気に触れた。
湿った空気と冷えた風。夜の匂いが、少し落ち着かせてくれる。
ポケットからタバコを取り出し、一本咥える。
──火はつけなかった。
いや、つけたことすら忘れていた。
指先で挟んだタバコの灰が、私の肺に煙を収める事もないまま静かに崩れていく。
気づけば、ぼーっと雨を眺めていた。
なんでこんなに、心がざわついているんだろう。
……たかが今日会ったばかりの人。名前だって、本名じゃないのに。なのに、胸の奥が、どうしようもなくチクチクとする。
「……私、何やってるんだろ」
思わず、声に出して呟いた。
タバコもただ吸った気になって、煙を吐いた気になって、煙をゆらゆら揺らしているただの物になっていっていた。
センラのあの"なぁ"に込められていたものが、もしも私が期待しているようなものだったら──
それを受け止める勇気が、今の私にあるだろうか。
静かな夜の中で、自分の弱さと、少しの希望が、混じり合って揺れていた。
やがて私は、深く息を吸い込んで、タバコをポケットに戻した。
──戻らなきゃ。
何があるかは分からないけど。
でも、あの人の隣に、もう一度座りたかった。
そう思った。