第7章 未勝利戦
泥を蹴り上げる音に混じって疲れたような呼吸が聞こえていた。
それが自分のものなのか、周囲からのものなのか判別がつかない。まだ十分に余力は残しているけれど、焦燥感にやられてペースが乱れないよう気を付けなければいけない。
ホマレの前にいたウマ娘が1人、じわじわと後ろへ沈んでいく。
『(脱落が始まった……!)』
スタミナが限界のウマ娘を横目に、自身の息を入れ直す。
水浸しの第3コーナー。内ラチには大きな水溜まりが出来ている。
泥濘に沈む脚を無理に繰り出さずに進んでいく。
コーナーの中間で、後方勢が動き出す気配がした。
後ろから足音が迫ってくる。
ここで加速したい。その方がいけそう。
『(でも……トレーナーの指示、守らなきゃ……)』
神座から聞いた作戦を思い返しながら逡巡する。
今回の未勝利戦の全ての戦略はキトウホマレを1着にするためにと神座が練ったものだ。
数々のトレーニングメニューだってそうだし、直前の不良バ場だって中山の地形を加味した作戦を時間ギリギリまで丁寧に説明してくれた。
『(この日のために、ずっと私に向き合ってくれたんだ……! 報いたい……この作戦を正解にしてみせる! 必ず勝つ!)』
他が動き始めたことへの焦りをグッと堪えながら、外へ膨らむウマ娘たちの背後で呼吸を整えた。
間もなく神座に指示された仕掛けの位置に迫る。
『はぁ……っ!』
第4コーナーの出口手前。直線へ飛び込む瞬間、ホマレは一気に脚を解き放った。
泥を蹴り飛ばし、重さを破り捨てるように駆けていく。
最後の直線。ゴールまでに控えている、勾配のある上り坂に向かってまっすぐに進んだ。
今まで抑えていた脚が弾けるように伸びるのを実感しながらスタンド前を走る。 観客たちのざわめきが左耳を掠めた。
『(いける……いける……!神座トレーナー、私が1着取るから!!見てて!)』
キックバックによる泥を被りながら前のウマ娘たちを着実に抜いていく。
雨粒を切り裂くように駆け上がり、脚は泥濘を踏みしめながらも一歩ごとに勢いを増す。
周囲の先行勢がバテて鈍るなか、ただ一人ホマレだけはじわじわと先頭へ浮上していった。
『(警戒すべきは……後方勢! どこまで近づいてきてる!?)』
コーナーの中間から飛ばし始めた差しと追い込みのウマ娘たち。