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ラストラインを越えて

第5章 初戦後


「……いいでしょう。僕がやってみるので、よく見ていてください」
そう言って、メトロノームを止めた神座がホマレのすぐ近くまで歩み出してきた。
『えっ! トレーナーが!?』
「あなたは口頭での説明より実際に見た方がイメージしやすいでしょう。ヒント程度に参考にしなさい」
神座は先ほどまで自分がいた位置を指差し、ホマレを鏡の前から退かす。
「そこに座っていなさい。曲の再生の仕方はわかりますね?」
『はーい』
ホマレが言われた位置に行って座り込む。
見上げると、神座は何のためらいもなく鏡の正面に立っていた。
『(なんか室内の雰囲気が……変わった?)』
距離は大体5メートルほど。十分離れているはずなのに、視界全体を覆うような圧迫感がある。
長身のシルエットが、まるで背景も空気も奪ってしまったかのように。
背筋をすっと伸ばすその仕草にすら、思わず視線が吸い寄せられた。
「……早く曲を流しなさい」
『あ、そうだった』
何はともあれ数分は見る側になれる。気晴らしには丁度良いだろう。
今まで散々こちらの不足を指摘してきた神座の実力がどれほどのものなのか見せてもらおうじゃないか。 ホマレはちょっとワクワクしながら再生ボタンを押した。
カウントインと共に神座に目を向け直す。
『(笑えないくらい下手だったらどうしよ……)』
そんな一抹の不安が頭をよぎる。
数拍後、カウントが終わると同時に神座の声が響いた。
『……!?』
まず耳を疑った。滑らかで芯のある歌声が、密室の空気を震わせる。
振り付けも完璧だった。最初の腕を伸ばす所作からして、一切の無駄がない。長い手足は指先まで神経が行き届き、重心の移動や胴のひねり、視線の角度まで緻密に計算されている。髪のなびきすら演出の一部のようだった。
ホマレは無意識に前のめりになって神座を見つめる。
『うわぁ……歌うまっ……振り付けもキレイ……!』
十代半ばの少女が踊ることを前提にした、無邪気であどけない振り付け。
それを成人男性の神座が忠実に再現しているのに、滑稽さなど微塵もない。優雅で力強く、完成された芸術のように映る。
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