第1章 崖っぷち
翌日の昼休み。
キトウホマレは次回の選抜レースの申請書をもらいに職員室へ向かっていた。
『(他にも……スカウトに繋がるアピールの場とかないか聞いてみよう)』
ホマレは焦っていた。入学してから1年以上も経っているのにまだどこにも所属できていない。
このままじゃ誰にも拾われないまま、デビューすらせずに全盛期が終わってしまう。
いつまでも教官に基礎ばかり習っていても埒が明かないし、そんな状況が続けば心が折れて道半ばで退学するはめになる。
メイクデビューすら危ういのに、重賞レースへの出走なんて夢のまた夢だ。
『(何がダメなんだろ……毎日頑張ってるのに)』
そんなことを考えながら俯いて歩いていると、視線の先に黒いスラックスと革靴が映る。
ちょうど自分の爪先がぶつかる直前だった。
『あっ、すみません』
危うく正面衝突するところだ。驚いて後ずさりしながら顔を上げると、スーツ姿の見慣れない男がこちらを見ていた。
『……!?』
足元まで届くほど長い黒髪、血のような赤い眼、どこか人間味を感じさせない薄い肌色……そして何より、なんの感情も窺えない無表情。不気味だと思うには十分だった。
「キトウホマレですね。話があります。少々よろしいでしょうか」
そう言って距離を詰めてくる。
身長差体格差は男の方がずっと上だが、ホマレもウマ娘の端くれなのだから力で圧倒できるはずだ。
しかしこういう時に限って手足は強張り、声は震えるものだった。
『わ……ふ、不審者! 誰かぁ……!』
「誰が不審者ですか。スカウトに来ただけなので落ち着いてください」
慌てふためくホマレを見下ろしながら男がそう言った。
『え、スカウト……? ってことは、あなたもしかしてトレーナーですか?』
「ええ。神座出流です」
『カムクラ、イズル……あぁ、新人トレーナーの!』
噂でしか聞いたことはないけれど、不気味で愛想がないという特徴は一致している。
それに、よく見たらトレーナーバッジをつけている。
実際に姿を見たのは初めてだけど信じてもよさそうだ。
『えーっと……それで、スカウトって? 誰かお探しなら呼んできましょうか?』