第19章 初有馬
12月の最終日曜日、有馬記念。
『ついに、この日が……!』
控え室で勝負服に着替え終えたキトウホマレが鏡の前で両の拳を握り締める。
『怖い……!!』
「当たり前です。初めてのGⅠなのだからプレッシャーも大きいでしょう」
極度の緊張で震えているホマレを神座が宥める。
「コースに出れば重圧はこことは比べ物にならないほど酷く感じるはずです。なるべく落ち着いて、場の雰囲気に呑まれないよう努めてください」
『う、うん……リラックスしなきゃね』
ホマレはその場で深呼吸を繰り返す。
神座は身体が強張ったままのホマレの様子を見ながら腕を組んだ。
「他の走者がどれだけ強かろうと、あなたはあなたの走りを全うするように。やれるだけやってきなさい」
『わかった。……行ってきます!』
気合いを入れるようにそう言うと、ホマレは神座に見送られパドックへ向かった。
パドックでお披露目を終え、地下バ道を抜けた途端にホマレは怖じ気づいた。
『(無理……!)』
普段の本バ場入場とはまるで違う。
スタンドを埋め尽くす観客達からの無数の視線やざわめく声。
まるで観覧席の全員が一つ塊のように蠢いているみたいに感じる。いつもは楽しそうにしているように見えるのに、今日は目を背けたくなるくらいの嫌悪感と恐怖が沸き上がった。
ホマレは目眩でも起こしそうな気分でグランプリロードを進み、せめて姿勢だけは萎縮しないようにと背筋を伸ばしてスタート位置の方へ向かう。
まだ走ってもないのに心臓はとてつもない勢いで早鐘を打っていた。
空は晴れていて芝も良バ場なのに、身体も脚もひどく重く感じる。
『(息が苦しい……)』
そうして辿り着いたゲート裏はさらに酷かった。
周囲のウマ娘たちから感じる張り詰めた空気のせいだ。
レース前から静かに互いを牽制し合う強烈な圧に、ホマレは呼吸を乱しかけながら少しでも距離を取ろうと隅に寄る。
『(こんな中で2分半も走るなんて……)』
耐えられる気がしない。なんだか吐き気もしてきた。
棄権したい。でも走らなければ。今さら引き返せない。