第7章 不在の証明
「……荷物は、これだけです」
彼女が指したのは、古びた布鞄。最小限の持ち物だ。きっと、薬草の種も入っている。
「君は……本当に、全部捨ててきたんだな」
彼女は私の言葉にゆっくりと首を横に振る。
「捨てたんじゃなくて、選んだんです。あなたを。……それに、あの婚約者、あんまり好みじゃなかったですし」
「ほう、では君の好みというのは?」
「毒にも薬にもならない人。たとえば……毎晩アストロラーベとにらめっこして、現実の星より理論の星にうっとりしてる人とか?」
私は苦笑した。
「それは確かに毒にも薬にもならないな」
「でも……そういう人が、ほんの少しだけ私を必要としてくれたら、嬉しいんです」
沈黙が落ちた。私は彼女の手をそっと取る。かすかに指が震えている。冷たくはなかった。ただ、懸命に張りつめているのが伝わってくる。
「……もう少し、時間がある」
そう言ったとき、彼女は一瞬だけためらい、それから小さく頷いた。
「……ええ。きっと、もうこんな夜はないですから」