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軌道逸脱と感情の干渉について【チ。/バデーニ】

第8章 再構成された信仰仮説



そのとき、夜が明けていく気配がした。私はそっと顔を上げる。
どれほど長く、私はこの窓を閉ざしていたのだろう。ためらいながら、書斎のカーテンを引いた。
東の空が、静かに金の縁をまとう。霜を含んだ空気の奥に、微かなぬくもりが差し込んでいた。
その静けさは、終わりではなかった。たぶん、それは始まりだったのだ。

私は椅子を離れ、手帳を胸に抱いたまま立ち上がる。
彼女の言葉が、まだどこかで息づいている気がした。紙の上ではなく、もっと深いところ──私という人間の、輪郭の内側に。

彼女はもういない。この世界は理不尽で、喪失まみれで、救いようがない。
それでも私は、彼女が信じようとしたこの世界を、もう一度だけ信じてみたいと思った。
たとえ愚かに見えても、たとえまた傷つくとしても。
それでも、生きるというのは、そういうことなのかもしれない。

私はそっと手帳を閉じ、書棚の奥へと滑らせた。
きっと二度と開かれることはないだろう。
けれど、もうそれで、いい。

これは──ある修道女と、一人の研究者が、ほんの一瞬だけ交差した記録。
彗星のように、短く、確かに夜空を裂いた証。
そしてそれだけで、私は思うのだ。
この世界は、ほんの少しだけ、美しいと。





それからまた、いくつもの新月が過ぎた。
私は、一人の男と出会う。
傭兵あがりの彼は無学で、極めて悲観的で、礼儀も、理屈もない男だった。
けれど、まっすぐに私を見つめて、話を聞いてほしいと言った。

私は、それを運命の皮肉だと思った。こんな田舎町にも、ようやく知性の火が灯ったのだと。
──いや、私はただ、まだ諦めていなかったのだろう。この腐りきった世界に、私が何かを示せるはずだという、そんな傲慢な希望に、まだすがっていた。

けれど、ある夜ふと気づいたのだ。
彼の信仰の変化を目の当たりにし、私の中の何かが、静かに揺さぶられていた。

彼の瞳を、彼の声を、私は知っていた。
あの夜、私の手を取った者と、同じ色をしていた。

私はまた、例外を許してしまった。
私にとって、二度目の、軌道からの逸脱。

そしてそれが、思ったよりも──ずっと、悪くなかった。



     軌道逸脱と感情の干渉について 終
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