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軌道逸脱と感情の干渉について【チ。/バデーニ】

第8章 再構成された信仰仮説



 そのとき、夜が明けていく気配がした。私はそっと顔を上げる。
 どれほど長く、私はこの窓を閉ざしていたのだろう。
 ためらいながら、書斎のカーテンを引いた。

 東の空が、静かに、金の縁をまとう。
 霜を含んだ空気の奥に、微かなぬくもりが差し込んできた。

 その静けさは、終わりではなかった。
 たぶん、それは始まりだったのだ。

 私は椅子を離れ、手帳を胸に抱いたまま立ち上がる。
 彼女の言葉が、まだどこかで息づいている気がした。
 紙の上ではなく、もっと深いところ――
 私という人間の、輪郭の内側に。

 彼女はもういない。
 けれど、その手に触れた記憶が、私を今も立たせている。

 私は、彼女が信じようとしたこの世界を、
 もう一度だけ、信じてみたいと思った。
 たとえ愚かに見えても、たとえまた傷つくとしても。

 それでも、生きるというのは、
 そういうことなのかもしれない。

 私はそっと手帳を閉じ、書棚の奥へと滑らせた。
 二度と開かれることはないかもしれない。
 けれど、もうそれで、いい。

 これは――
 ある修道女と、一人の研究者が、ほんの一瞬だけ交差した記録。
 彗星のように、短く、確かに夜空を裂いた証。

 そしてそれだけで、私は思うのだ。
 この世界は、ほんの少しだけ、美しいと。

 

 *
 

 それからまた、月が巡った。

 私は、一人の男と出会う。

 傭兵あがりの彼は何も知らず、極めて悲観的で、礼儀も、理屈もない男だった。
 けれど、まっすぐに私を見つめて、話を聞いてほしいと言った。

 私は、それを運命の皮肉だと思った。
 こんな田舎町にも、ようやく知性の火が灯ったのだと。
 ――いや、私はただ、まだ諦めていなかったのだろう。
 この腐りきった世界に、私が何かを示せるはずだという、そんな傲慢な希望に、まだすがっていた。

 けれど、ある夜ふと気づいたのだ。

 彼の信仰の変化を目の当たりにし、私の中の何かが、静かに揺さぶられていた。
 彼の瞳を、彼の声を、私は知っていた。

 あの夜、私の手を取った者と、同じ色をしていた。

 私は、また例外を許してしまった。
 私にとって、二度目の、軌道からの逸脱。

 そしてそれが、思ったよりも――ずっと、悪くなかった。

 

   軌道逸脱と感情の干渉について【終】



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