第6章 必要十分条件としての君
「あなたの実家や修道院が、あなたの行方を追っていると仮定するなら、いずれこの村が疑われるのは時間の問題です。今は穏やかに過ごせていても、それがいつまで続くか……保証はできません」
確かに、そうだった。
私たちの生活は仮初めのもので、表向きはバデーニさんの『メイド』という立場でここにいる。村人たちは善良だが、どこまで信用していいのかは分からなかった。
「それに……」
彼は少し言い淀み、視線を窓の外へ落とした。
「私自身も、いずれここでは限界が来る。ご存じの通り、この国では私は破門状態です。どの学会も、大学も、研究所も、私の存在を歓迎しません。資料を得るのも難しく、設備もままならない。いずれ、星図一枚描くことさえ困難になるでしょう」
言葉を選ぶようにしながら、しかし揺るぎない口調で、彼は続けた。
「隣国のV共和国には、まだ可能性がある。少なくとも、私のような異端者でも、名を変えれば一から始められる余地があります。設備も、仲介者も、手はずを整えています」
私は黙って聞いていた。彼の目には冗談めいた色はなかった。
「そして……できれば、あなたにも一緒に来てほしいのです」
心臓が跳ねた。だが彼の言葉は続く。
「もちろん、それはつまり――この村での診療も研究も、続けられなくなるということです。あなたがこれまで積み上げてきたすべてを手放すということです。それは承知の上で、私は……」
そこで一瞬、彼は口を閉じた。
そして深く息を吸い、小さくうなずいて、言った。
「つまり、私と結婚してほしいのです」
ふ、と胸の奥で何かが温かく弾けた。
けれど、その直後に広がるのは戸惑いだった。私は何も返せなかった。ただ頷くこともできず、困惑を隠すのが精一杯だった。
「……すぐに答えを出さなくて構いません」
そう言って、彼はいつもよりほんの少しだけ優しく微笑んだ。