第5章 誓いと背反
何かが、心臓の奥で途切れるような音がした。
沈黙。
それが何を意味するのか、言われなくても分かっていた。 私は、視界の焦点がぶれるのを感じた。ただでさえ曖昧な光景が、さらに遠のいていく。
だが彼女は、続けて言った。
「──ですが、それを放棄します」
は?……私は息を呑んだ。
「私は、あなたの目になるために、田舎の教会へ移ります」
その言葉が何を意味するのか、私には分かっていた。
それは、すべてを捨てるということだった。家も、名も、身分も。そして、神との誓いさえ。
「……正気か?」
絞り出すように問いかける。
彼女は、ほんの少しだけ辺りを見回し、誰の目も耳もないことを確かめてから、声を落とした。
「ええ。正気です。これが、私の使命だと……思っているのです」
「そんなこと……許されるはずがない。婚約を断るどころか、修道女をやめるなんて。教会にも、君の家にも……見つかれば、処刑されるかもしれない」
「わかっています」
ためらいのない頷きが、胸に突き刺さる。
私は、どこかで崩れ落ちそうになる自分を、わずかな理性で踏みとどまらせた。
「君は分かっているのか。これから修道院を抜け出し、身分を偽って生きることになるんだぞ」
「ええ」
どこまでも穏やかな声。けれど、その瞳には決して揺らがない覚悟があった。
──どうして、そこまで。
私は思わず、ふっと笑った。
「……やっぱり君は、正気じゃない」
「バデーニさんが最初に気づいたじゃありませんか。私、昔から常識が足りないって」
「……私は、人を殺した。もう地獄行きが決まっている」
「なら、私もご一緒します。地獄のこと、まだよく知らないけれど、薬草くらいは植えられるでしょうか」