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軌道逸脱と感情の干渉について【チ。/バデーニ】

第4章 観測されざる傷


 
 数時間後。J診療室の扉の外で、私は息を整えた。
 階下から足音が聞こえてきて、やがて、ゆっくりと近づいてくる気配。

「失礼します」
 控えめな声とともに、修道女がバデーニさんを伴って現れた。

 ──包帯。
 彼の目元から頭部にかけて、幾重にも巻かれた白い布が、彼の表情をほとんど覆っていた。
 歩幅はやや不安定で、手を引く修道女の袖に軽く指をかけながら歩いている。

「こちらで引き継ぎます」

 私は努めて冷静に言った。修道女が頷き、バデーニさんの手を離す。私は代わってその手を取った。

「少し、段差があります。……はい、大丈夫です」

 その手は冷たく、細かく震えていた。
 私は彼を静かに導き、診療室の中へと迎え入れた。扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。

 ようやく、二人きりになった。
 私は言葉を失ったまま、ただ彼の正面に膝をついた。

「……」

 何か言いたかった。謝りたかった。
 けれど、どんな言葉もふさわしく思えなかった。
 唇が動くよりも先に、涙がこぼれ落ちていた。

 声もなく、音もなく、頬を伝うそれに、私は初めて気づいた。泣いているのだと。

 すると、包帯の向こうから、かすかな声が漏れた。

「……泣いてるのか、あなたは」

 私は、はっとして顔を上げた。

 ──なぜ。見えないはずなのに……

 その心の声に答えるように、彼は小さく息を吸ってから、ぽつりとつぶやいた。

「……すまなかった。あのとき、言いすぎた」

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