第4章 観測されざる傷
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患者様を見送ったあとの診療室は、ひどく静かだった。
窓辺に射し込む午後の光が、さっきまで賑わっていた気配を嘘のように消している。私は背を壁に預け、静かに深く息を吐いた。
──どうして、あんなふうに言ってしまったのだろう。
バデーニさんが扉を出て行ったときの顔が、何度も胸の奥に刺さるように思い出された。怒っていた。それ以上に、傷ついた顔だった。
けれど私は、彼が最初からずっと誰にも心を許していないことを、とうに気づいていたはずだった。
研究の話をするとき、彼はいつも「私は」「私の数式では」と自分のことばかりだった。協力者の名が出てくることなど一度もなかった。 誰かの助けを借りたくないのだと、口にせずとも伝わってきた。最初はそれがただの傲慢に見えていたけれど──
彼が私に、人を殺したことを告白した日。
「軽蔑しましたか」と尋ね、私に受け入れられたときの、安堵した表情をふと思い出した。
あの言葉の裏には、他人に裏切られた記憶があった。自分の才能を奪われ、大切な人を自ら手にかけ、すべてを失った記憶が。
あれは、普段高慢な彼が、最初で最後に見せた自分自身への蔑みだったのだ。
私はそれでも彼を、すべて受け止めたいと思った。
なのに、今日の私の言葉は、彼を拒絶したに等しかったのかもしれない──その思いが、後から後から胸を締めつけた。