第4章 観測されざる傷
ある日、修道院長に呼び出された。
執務室の窓には曇りガラス越しの空が見え、空気は重苦しいほど静かだった。彼は机の上で手を組み、私を見据えた。
「バデーニ。君の研究成果は、確かに価値あるものだ。だが、君の姿勢には疑問を感じている」
「成果があれば、姿勢は問わないとお考えではないのですか」
「違う。ここは修道院だ。神の真理に仕える場だ。君が追っているのは、あまりに“人間の理屈”に偏りすぎてはいないか?」
「理屈を通して、神が造られた世界を理解しようとしているのです。何が問題なのでしょう」
「問題なのは、“信じる”ことを置き去りにしている点だ」
院長の声には熱があった。
「神は、我らに理性を与えた。しかしそれは、“謙虚さ”とともに用いられてこそ意味がある。君はひとりで考え、ひとりで答えを出し、神の前にすら疑いを向けているのではないか」
私は微かに眉を動かした。
「私は神を否定していません。ただ、解釈と検証を怠ることが、信仰ではないと考えています」
院長は唇を引き結び、しばらく黙り込んだ。
「君のような者は、かつて異端とされたことを忘れてはならない。君が神の造りたもうた星々を見ているのなら、その背後にある意図をも見つめるべきだ」
「意図とは、観測の結果から導けるものでしょうか」
「……やはり君は、学のほうに傾きすぎている」
そう言い残すと、彼は深く椅子に身を沈めた。私は礼も言わず、その場を後にした。
私は、誰とも組まない。
他者と手柄を分かち合うつもりはない。どれほど教義を掲げられても、過去の裏切りが消えるわけではない。親友だった男の掌に、私の成果があったときの、あの嫌悪感を、私は忘れられない。
以来、私は人を信じることをやめた。同じ分野を志す者にこそ、最も深く裏切られる。だからこそ、孤独であればこそ、私は安全でいられる。
それを院長がどう思おうと、変えるつもりはなかった。