第3章 証拠なき契約
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今夜は、新月。
空には月がない。そのかわり、星々の光がどこまでも透きとおるように冴え渡っていた。
空気は冷たく、肌を刺すようだったけれど、それすらも心地よかった。痛みがあるぶんだけ、現実の輪郭がはっきりとした。
私は肩に外套を羽織り、そっと扉を閉めた。
誰にも気づかれないよう、足音を忍ばせて回廊を抜ける。
夜更けの修道院は、まるで眠っているみたいに静かだった。
風に揺れる枝の音、どこか遠くで鳴く夜鳥の声、そして、石畳を踏みしめる自分の足音――それらだけが、かすかに世界と私を繋いでいた。
丘の上までの道は、私の身体にすっかり馴染んでいた。
あの夜から、何度も心の中で通った道だった。
夢の中でも、白昼夢の中でも、何度も彼と手を取り合ったあの場所へ、心だけは戻っていた。
けれど今夜は、本当にその場所を目指していた。
胸の内で繰り返す問いは一つだけ。
――彼は、そこにいるだろうか?
ただ、それだけだった。
彼に会いたい。
たった一言でいい。話がしたかった。
けれどそれは、祈りにも似た願いだった。もし彼がそこにいなかったら、それで終わってしまう気がして。
息をひとつ吐きながら、私はアストロラーベを両手で抱き直した。
あの夜、彼が「これは予備です」と言って手渡してくれた小さな真鍮の天文器。
手にしているだけで、心が少しだけ強くなった気がした。
坂道を上るたびに、心臓の鼓動が強くなっていく。
冷えきった空気が肺にしみて、肩で息をしていた。
それでも、止まらなかった。
あの場所に行かなくてはと思った。理由はもう分からなかったけれど、それだけが確かだった。
そして、鐘楼の陰が見えた瞬間――
私は、息を飲んだ。