第2章 理性の裂け目
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やがて石垣の陰に佇む人影が見えた。バデーニさんだった。僅かな星明りのもと、アストロラーベを構えて夜空を見上げている。
背筋はいつものように伸びていて、その立ち姿だけで、どこか近寄りがたい気高さがあった。
でも、彼が私に気づいて振り返ったとき、その眼差しは少しだけやわらいでいて、思わず胸の奥がじんと熱くなる。
「……こんばんは」
どちらからともなく、ぎこちなくそう挨拶を交わす。ほんの数時間前に診療室で会ったばかりなのに、どうしてこんなにも、照れくさいのだろう。
「さっそく始めましょうか」
彼がそっとアストロラーベを差し出す。真鍮の盤は夜気を吸って冷たく、手のひらに触れるとひやりとした感触が伝わってきた。
「まず、これは持ち方が少し特殊で……そう、そうです。親指と中指で盤を支えて、人差し指でアリダードを回します」
隣に並び、彼の手がそっと私の手に重なる。指の先が私の指をなぞるように動いて、正しい位置に添えてくれる。そのたび、息が喉の奥で詰まりそうになる。
私の手の上に、彼の手がある。ただそれだけのことが、こんなにも心をかき乱すなんて。
「この目盛りが、天球上の恒星の位置を示しています。盤を回して、こう……」
彼の指が盤を滑らせるたび、淡い音が闇に吸い込まれていく。私もそれを真似てゆっくりと回すと、彼の手がまた私の手に触れた。
何度も、何度も。
きっと教えるには必要な動作。けれど私は、触れられるたびに意味もなく緊張して、視線をどこに置けばいいのか分からなくなってしまう。