第2章 理性の裂け目
「以前、あなたが仰っていたでしょう。薬草の栽培に天文学を応用できると。追肥や種まきの時期を星の動きで見定めるという話、私はずっと気になっていて……」
「ええ。覚えています」
「その関連で、ひとつ提案を。お詫びのしるしに、アストロラーベの使い方を教えましょうか?あなたなら、きっと使いこなせるはずだ」
思わず、声が弾んだ。
「本当ですか? ぜひ、お願いします!」
彼は、ふっと笑った。なんだか久しぶりに見る、穏やかな表情だった。
「今夜は新月です。灯りも届かず、星を見るには良い条件でしょう。消灯後、丘の裏手――古い鐘楼の石垣のそばでどうでしょうか」
「はい。わかります。そこで、お会いしましょう」
そう答えた私に、彼はほんの一瞬だけ視線を重ねたあと、ようやく口を閉ざした。
それから私のほうを見返し、ふっと小さく咳払いをする。
「……さて。そうは言っても、私は今、診察を受けに来た患者ということになっていますから」
「そうでしたね。すっかり忘れていました。では、お掛けください」
私は椅子を指し、バデーニさんが腰を下ろすと、脈を取るためにそっと手を取った。彼の指先は、思ったよりも冷えていた。
「手が冷たいですね。眠れていませんか?」
「……最近は夜の時間も調べ物に費やしていまして。あれもこれもと手を広げすぎたようです。まったく、良くない傾向ですね」
「思考が冴えているときほど、休息を後回しにしてしまうものです。でも、身体は正直ですから」
私は穏やかな声でそう告げながら、脈を数える。
「……乱れはありませんが、少し浅い呼吸ですね。過労と軽い寝不足のせいでしょう」
「ほう。では今夜、星空の下で深呼吸でもしてみるとしましょうか」
彼がそう言って小さく笑ったので、私もつられて笑った。
診察というには形式ばったやりとりだったけれど、それでもこの時間が、ほんの少しだけ過去のぎこちなさを溶かしてくれた気がした。
「薬をお出ししましょうか?」
「いえ、必要ないでしょう。少し眠れば回復します。 ……それに今夜は、眠ってしまっては困りますからね」
そう言って立ち上がる彼を、私は黙って見送った。
「それでは、また今夜に」
「ええ、また」