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軌道逸脱と感情の干渉について【チ。/バデーニ】

第1章 因果律の彼方に



 "決闘"が合法とはいえ、取り調べは半日を超えた。相手が誰であろうと、あれだけの血を見れば当然だろう。
 疲れ切った身体に、留置所での簡易な手当てを勧められたが、断った。
 それよりも、ただ静けさが欲しかった。

 空が白み始めるころ、私はようやく私塾の寮に戻る。
 椅子に腰を下ろし、開きっぱなしの本に手を伸ばした。
 いつもと同じ動作。惰性の習慣だけが、まだ生きている。けれど、文字はもはや意味を成さず、目はただ滑っていくだけだった。

 ――おかしい。

 昨日の私と、今日の私は、根本的に変わってしまった。
 頭と身体の感覚が微妙にずれていて、思考と実感が噛み合わない。軋んだ歯車のように、何かが滑っている。

 あれほど夢中になっていた天文学。
 それに触れることが、今はただ耐えがたい。
 ページの文字が、図が、星の名前が、吐き気を催すほどに煩わしかった。

「……クソっ」
 私は本を閉じ、机の隅に乱暴に押しやった。
 突っ伏すようにして、頭を抱える。

 私は──親友に、手をかけた。

 理解していたつもりだった。少なくとも、理屈の上では。
 でも、こうして日常の輪郭に触れて初めて、その事実がじわりと浮かび上がってくる。
 言葉にならない重さが、胸の奥で形を持ち始める。

 親友に手柄を奪われ、怒りのままに決闘を受けた。
 拒むことだって、できたはずだ。
 けれど、私の矜持がそれを許さなかった。

 ──これが、最善だったのか?

 問いかけるたびに、思考は渦を巻く。
 答えは出ない。問いそのものが間違っていたのかもしれない。
 それでも思考は止められず、同じ場所をぐるぐると回り続ける。

 考えれば考えるほど、言葉は絡まり、こぼれ落ちる。
 いっそ、思考を止めてしまえたなら。
 分析をやめるという判断も、時には理にかなう。

 私は、これからの進路について、静かに考えた。
 まず、天文学から距離を置くべきだろう。
 他者に期待するのは幻想だ。
 着想も仮説も、他人に晒す必要はない。
 それらは、本来、ひとりで完結する営みのはずだ。


 私は特異だ。
 だからこそ、孤独を選ぶべきなのだ。
 真理への道を、他人の足に委ねることはできない。
 進むべきは、私自身だ。
 私が、私の歩幅で、私の方程式に従って。

 私が独りで進めばいい。
 私が──
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