第2章 理性の裂け目
姿を現したのは、四十路に差し掛かったであろう世俗の男だった。私と目が合うなり、まるで蛇に睨まれた蛙のように固まる。
「どうされました?……あっ、バデーニさん!」
中から彼女の声がして、顔を覗かせた。
「ジルさん。ご無沙汰しております。この方は?」
「患者様です。街の方も、こちらの診療所を自由に利用できるんですよ」
彼女の説明に、私は一度男へと視線を戻す。男は目を逸らし、わずかに後退しながら「またよろしくお願いします」とだけ言い残して退室した。
男が廊下の向こうに消えてゆく間、私と彼女の間には沈黙が流れていた。
「バデーニさん、そのお姿……とうとうご出家なさったのですね。おめでとうございます」
彼女はどこか遠慮がちに微笑みながら言った。
その控えめな姿に、私は胸の内に澱のような感情を感じながらも、応える。
「ええ。お陰様で忙しくしております。ご挨拶が遅れました」
思いのほか素っ気ない口調が口を突いて出る。「ああ、こちらを」と小包を手渡すのもどこか義務的だった。
「わ、わざわざ……ありがとうございます」
「私の荷物のついでです。それでは」
もっと話すつもりだったのに。言葉を重ねるどころか、踵を返してしまった。
「バデーニさん!」
彼女の声に、私は横顔だけ振り返る。
「せっかくお会いできたのです。中で少し……お話しませんか?」
「先ほども申した通り、私は忙しいのです」
語気が思いのほか強くなった。
「……バデーニさん?」
「なんですか」
「……怒っていらっしゃるのですか?」
問いかけに、私は無言のまま振り向き、肩で息をついた。
――怒っているのか、私は。
ただ、不快に感じたということは確かだ。
「怒っているというより……不快なのです」
「何が、でしょうか」
私は言葉を選びながら続ける。