第5章 忘れられない人
汗を拭いた選手たちがロッカーへと戻っていく時間帯。
は片付けと氷嚢の補充を終え、廊下の給水器横にタオルをまとめていた。
誰かの足音が、背後から静かに近づいてくる。
自然な気配だった──スタッフや選手たちと交わる、いつも通りの音。
?「さん、これ……落としてましたよ」
振り返る前に、声が聞こえた。
右手に、きれいに畳まれたタオル。
その手を差し出していたのは──優人だった。
(……なんで……ここで)
一瞬で呼吸が浅くなる。
見上げた視界に映った笑顔は、トレーナーとしての、完璧な「作られた優しさ」。
優「少し疲れているように見えたので。無理されないでくださいね。何かあれば、いつでも僕たちを頼ってください」
声は穏やか。
けれど、その言葉のひとつひとつが、の神経を刃のように削った。
「……あ、ありがとうございます……」
喉が締まって、声が掠れる。
タオルを受け取った手が震えるのを、止められない。
そのすぐ横を、凛と潔が通りかかっていた。
潔「……さん……?」
凛はちらりと横目をやり、言葉を発さずと優人の立ち位置を見る。
──優人が笑う。
の顔をじっと見てから、ふっと表情を緩め、軽く頭を下げた。
優「それじゃ、また」
そのまま、何事もなかったように背を向けて去っていく。
白衣の裾が揺れ、足音が消えるまで──は動けなかった。
数秒遅れて、ふいに凛が声を落として言う。
凛「今の反応……普通じゃなかったな」
潔「……うん。明らかに、さんの顔色、変わってた。何があったんだ?」
凛「……“誰か”に怯えてる。そういう目だった」
視線を追うように、凛は優人が去っていった方を見つめる。
だが、その顔にはまだ確信はない。ただ、静かに警戒の種だけが、心に植えつけられた。