第13章 千切
「私ね、……千切くんがそばにいてくれると、……なぜか、ほっとするんだ。心の中が静かになるの。……ちゃんと、自分でいられる気がして」
そっと、千切の胸元に額を預ける。
涙の跡が乾きかけた頬に、彼の手があたたかく添えられている。
「……怖いことも、恥ずかしいことも、たくさんあるけど……でも、それでも、……私も——」
一度、小さく息を吸って、目を見上げた。
「千切くんが、好き」
たどたどしくて、震えていて、でも、ちゃんと自分の言葉で。
千切の目が、ふっと緩んで、顔全体がやさしくほどけた。
千「……うん、ありがとう。……すごく、嬉しい」
次の瞬間——
千切の顔がすっと近づいてきた。
千「……キス、してもいい?」
その問いに、は何も言わず、静かに目を閉じた。
触れた唇は、驚くほど柔らかくて、その温度が、胸の奥まで沁みてくるようだった。
過去の記憶に塗りつぶされていたこの部屋に、新しい“初めて”が、そっと上書きされていく。
今まで信じられなかった優しさも、疑っていた「好き」という言葉も——少しずつ、でも確かに、信じたいと思えた。
キスが終わっても、ふたりはしばらく顔を近づけたまま、
小さな呼吸を重ねていた。
千「これからもさ、……俺、の隣にいてもいい?」
千切が、照れくさそうに言う。
は、うなずいた。
その一言が、今は何より嬉しかった。
窓の向こうに、夜の気配が静かに忍び寄っていた。
でも、不思議と怖くなかった。
この場所が、もう“怖い思い出の場所”じゃなくなっていることに気づいて、
はそっと微笑んだ。
——きっと、大丈夫。
過去は消えないけれど、
未来は、自分で選んでいけるから。
千切と手をつなぎながら、
そっと、部屋をあとにした。
光の残る廊下を歩きながら、ふたりの影がゆっくり伸びていく。
その影は、これから重なって、ひとつになっていく。
ーfinー